◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/6/九州産ニホンオオカミ/北九州市から過去最大の頭骨

江戸時代の読本作家、滝沢馬琴を有名にした『鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月』(1805年起草)に2頭のオオカミが登場します。

馬琴は知っていた?

 為朝が豊後の国(現在の大分県)の山中で道に迷ったとき、2頭のオオカミの子がシカの死体を前に血まみれで争っているのを仲裁したところ、2頭は争いをやめ、以来為朝が追い返そうとしても、離れずに為朝の住まいまでついてきました。2頭は山雄と野風と名づけられ、猟犬のように、シカやイノシシを捕らえては為朝の下に運んできたと書かれています。
 滝沢馬琴は、九州にニホンオオカミが生息していると知っていたのでしょうか。豊後の国の隣の肥後(現在の熊本県)藩主細川重賢の動物の写生本『毛介綺煥』(1758年)にオオカミの図があることから、知っていたかもしれません。
 それはともかく、熊本県でオオカミの骨が発見されたのは近年になってからです。1967年に八代郡泉村(現・八代市泉町)矢山岳のたて穴で発見(報告は1969年)されたのが第1標本です。
 第2標本は同じ八代郡泉村京丈山洞窟からニホンオオカミの全身骨格が発見されたもので、1990年代末に骨学的検討と年代測定が試みられています。
 熊本市立熊本博物館の「熊本博物館報」(1999年7月)に掲載された報告によれば、このオオカミの頭骨全長は218・8世如∧振僂茲蠑し大きいといえます。

室町から江戸初期に

 さらに、放射性炭素法を使って、骨の年代測定を行った結果、室町時代から江戸時代初期にさかのぼる可能性が示されたといいます。室町時代から江戸初期といえば、その大半は各地で戦乱が相次いだ時代です。そんな時代に平均より大きなニホンオオカミが九州の山野を駆け回っていたことになります。
 注目されるのは、そんな九州から、過去最大のニホンオオカミの頭骨が出てきたことです。
 2004年6月27日、北九州市で開かれた日本古生物学会で、同市小倉南区平尾台の石灰岩洞窟で1972年に発見された動物の頭骨がニホンオオカミの頭骨で、うち1点はニホンオオカミでは過去最大の頭骨であることが発表されました。報告したのは、群馬県立自然史博物館の長谷川善和館長らのグループでした。
 同博物館の研究報告(8号)から、詳細をみてみると――。報告された標本は4点で、うち3点は福岡県北九州市の平尾台の頭骨で、1点は熊本県泉村矢山岳産の頭骨と体骨格の一部です。いずれもニホンオオカミの骨と鑑定されていますが、注目されるのは平尾台のこむそう穴から発見された第2標本です。

ずば抜けた頭骨が

 これまで、高知県仁淀村から発見された頭骨(全長235・8澄砲過去最大級とされてきました。ところが、こむそう穴の第2標本は、吻の先が欠落しているものの、下あごの長さは仁淀村のものより大きく、そこから推定すると、頭骨全長は242・1世函△海譴泙任離縫曠鵐オカミでは最大級となります。
 同研究報告が掲載している各地のニホンオオカミの頭骨30点の表によれば、全長が230世鯆兇┐討い襪發里錬甘世靴なく、242世呂困佝瓦韻討い襪箸い┐泙后
 平尾台の洞窟からは、ステゴドンゾウやナウマンゾウも発見されています。しかし、こむそう穴の第2標本が発見された地点で採集された動物遺骸は、野ウサギなど現生種ばかりであり、「更新世まで古くはならない」としています。同時に、各標本とも化石化の程度は弱く、江戸時代から明治時代初期に捕獲されたものより、「古いものと思われる」としています。
 室町時代から江戸時代にかけてのニホンオオカミの中でも、最大級のものが日本列島の南方に位置し、一種の島国である四国や九州に生息していたということは大変興味深いことです。
 

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