Archive for 12月, 2007

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/8/縄文イヌはどこから/家畜化したニホンオオカミ?

 氷河時代末のドイツ・ライン地方の集落遺跡「ゲナスドルフ」は、火山から噴出した軽石に覆われ、さまざまな遺物、住居跡が良好な状態で残っていたことで知られています。放射性炭素の年代測定によると、住居跡は紀元前1万400年のもので、当時は、温暖期に属していました。

歯に家畜化の兆候

 注目されるのは、ここから発見された二つのオオカミの歯です。オオカミを家畜化すると、その兆候は歯にも現れますが、ゲナスドルフのオオカミの歯は、わずかしか変形していないので、「すでに『イヌ』、あるいは幼獣を捕まえて人間が飼い慣らしたオオカミであると、明言できないこともない」(『ゲナスドルフ―氷河時代狩猟民の世界』)と指摘されています。
 明治大学名誉教授の大塚初重氏は、近著『考古学から見た日本人』で、3万年以上前に住んでいた旧人・ネアンデルタール人がすでにオオカミを飼い慣らし、マンモスを狩っていたという説があることを紹介しています。
 実際、ネアンデルタール人が3万年前に飼っていたイヌの骨を、東京大学理学部の調査隊がシリアで発見したという指摘もあります(佐原眞著『体系日本の歴史‘本人の誕生』)。
 ネアンデルタール人がイヌを飼っていたとすれば、新人と呼ばれる私たちの直接の祖先が、親とはぐれた子オオカミや巣穴の子オオカミを捕らえて飼い慣らし、狩猟に使ったことは、十分考えられます。

飼い慣らす努力が

 日本でも「長野県茅野市近郊の遺跡では、ニホンオオカミを飼い慣らして、家犬化することに努力している」(直良信夫著『狩猟』)という例も発見されています。
 では、縄文イヌは、ニホンオオカミを飼い慣らし、家畜化したものなのでしょうか。そういう気がしないでもありません。
 しかし、「骨学的研究によれば、和歌山県産のイヌにニホンオオカミの特徴らしきものがわずかに出現するけれども、現在の日本犬にニホンオオカミの血は一滴も混ざっていないというのが定説である」(今泉忠明著『イヌの力』2000年刊)という指摘もあります。
 確かに、縄文時代早期に発見された日本最古の縄文イヌ(約9500年前の夏島貝塚遺跡)が完全に家畜化されたイヌであることから、大陸から渡来したと考える方が自然かもしれません。
 岐阜大学農学部の田名部雄一教授(当時)の「血液タンパク質」に注目した研究によると、本州の日本犬の祖型は、南方から渡来したヘモグロビン遺伝子と朝鮮半島から渡来したヘモグロビン遺伝子の両タイプの混血によって生じたものと推測されています(猪熊壽著『イヌの動物学』2001年刊から)。

大きさ柴犬ほど

 今泉氏は、縄文人とともに各地にすみ着いた日本犬の祖先たちはその後に朝鮮半島経由で渡ってきた弥生犬の交雑を受け、日本犬が誕生したとしています。
 では、縄文イヌの容姿はどんなものだったのでしょうか。肩までの高さは35造ら40汰宛紊函中型の日本犬ぐらいのニホンオオカミよりさらに小型で、柴犬ほどの大きさです。大塚氏は先の著書で、こう書いています。
 「現在の柴犬など在来の日本犬と比べると、骨が丈夫で、顔立ちもより鼻筋がとおったキツネ顔で、猟犬のようにあばら骨が浮き出るほど痩身だったという」
 また、縄文時代の泥人形やその後の銅鐸に描かれたイノシシ狩りの絵によれば、立耳・巻尾です。
 縄文時代初期に弓矢を手に入れた縄文人は、縄文イヌの助けを得て、シカやイノシシ狩りをしていたようです。縄文イヌが各地で大切に埋葬されていた理由が分かるような気がします。

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/7/イヌのルーツは?/東アジアのオオカミが有力

 人間が最初に家畜化した動物といわれるイヌ。では、イヌの祖先はどんな動物なのか。これについては、さまざまな議論がありました。イヌとオオカミとジャッカル、コヨーテは交配が可能なことから、オオカミ説やジャッカル説、オーストラリアの野生犬、ディンゴ説などが生まれました。

世界のイヌの71%が

 ノーベル賞も受賞した世界的な動物学者、コンラート・ローレンツは、イヌの多くはジャッカル系で、わずかにオオカミ系も存在しているとして、ジャッカル祖先説を普及させました。しかし、その後の研究で、ジャッカル説を撤回しています。ディンゴ説は、いまではディンゴはイヌそのものであり、人間とともにオーストラリアに移住したイヌが野生化したものと考えられています。
 この点で、米科学誌『サイエンス』2002年11月22日号が興味深い論文を掲載しました。母親だけから受け継がれるミトコンドリアDNAの分析から、世界のイヌの祖先をたどると、少なくとも5頭の雌オオカミに行き着くというのです。
 それによると、スウェーデン王立工科大学のサボライネン博士らは欧州、アジア、アフリカなどの計654頭のイヌと、ユーラシア大陸の38頭のオオカミのミトコンドリアDNAを解析。塩基配列を比較検討し、五つまたは六つのグループに分類できることを解明しました。このうち東アジアのオオカミを祖先とするグループに、世界のイヌの71%が属していました。

3万年前に家畜化

 実は、1990年代のイヌとオオカミのDNA分析で、「イヌにもっとも近縁なのはオオカミであり、少し距離をおいてコヨーテ、つぎにジャッカルの順に近縁になっている。DNAの解析からは、オオカミだけがイヌの直接の祖先であると結論できるようだ」(猪熊壽著『イヌの動物学』)ということや、「イヌの家畜化は世界のいろいろな場所で異なる時期に生じた、あるいは一度家畜化されたイヌは各地で何回もオオカミと交雑されたことが示唆されている」(同)ことなどがわかっていました。『サイエンス』論文は、こうした研究を土台にさらにくわしく調べたものでした。
 また、この『サイエンス』論文は、考古学的記録はオオカミの家畜化の時期を1万4000年前から9000年前と推測しているとのべたうえで、一方で私たちのデータは4万年前、もしくは1万5000年前に東アジアにおいて一頭のタイプのオオカミから始まったことを示唆している、とのべています。そのうえで、最終的には、オオカミの家畜化は1万5000年前の方が可能性が高いと結論づけています。
 実は、考古学では、1万5000年前よりも古いイヌの化石が発掘されています。
 猪熊氏は先の著書で、こう指摘しています。
 「考古学的研究によると、イヌはいまから約3万年前には人類の住居の周囲で暮らしていたようである。アラスカのユーコン地方で、少なくとも2万年前のイヌの化石が発掘されている(Kurten and Anderson 1980)。アメリカインディアンがアジアからアメリカへ渡ったのは約2万6000―2万8000年前なので(Muller―Beck 1967)、アラスカのイヌはヒトとともにアジアから移動した可能性が強い。イヌはそれより前の時代に、すでにヒトと共存していたのである」

柴犬の方が近縁

 一方、『サイエンス』2004年5月21日号は、米国の研究チームが85種414頭のイヌとオオカミのDNAを比較した結果、シェパードよりも柴犬や秋田犬、チャウチャウの方がオオカミに近いとする論文を掲載しました。
 外見がオオカミに似ているシェパードより、柴犬や秋田犬の方がオオカミに近縁なのは、イヌの有力な祖先が東アジアのオオカミだったせいでしょうか。

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/6/九州産ニホンオオカミ/北九州市から過去最大の頭骨

江戸時代の読本作家、滝沢馬琴を有名にした『鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月』(1805年起草)に2頭のオオカミが登場します。

馬琴は知っていた?

 為朝が豊後の国(現在の大分県)の山中で道に迷ったとき、2頭のオオカミの子がシカの死体を前に血まみれで争っているのを仲裁したところ、2頭は争いをやめ、以来為朝が追い返そうとしても、離れずに為朝の住まいまでついてきました。2頭は山雄と野風と名づけられ、猟犬のように、シカやイノシシを捕らえては為朝の下に運んできたと書かれています。
 滝沢馬琴は、九州にニホンオオカミが生息していると知っていたのでしょうか。豊後の国の隣の肥後(現在の熊本県)藩主細川重賢の動物の写生本『毛介綺煥』(1758年)にオオカミの図があることから、知っていたかもしれません。
 それはともかく、熊本県でオオカミの骨が発見されたのは近年になってからです。1967年に八代郡泉村(現・八代市泉町)矢山岳のたて穴で発見(報告は1969年)されたのが第1標本です。
 第2標本は同じ八代郡泉村京丈山洞窟からニホンオオカミの全身骨格が発見されたもので、1990年代末に骨学的検討と年代測定が試みられています。
 熊本市立熊本博物館の「熊本博物館報」(1999年7月)に掲載された報告によれば、このオオカミの頭骨全長は218・8世如∧振僂茲蠑し大きいといえます。

室町から江戸初期に

 さらに、放射性炭素法を使って、骨の年代測定を行った結果、室町時代から江戸時代初期にさかのぼる可能性が示されたといいます。室町時代から江戸初期といえば、その大半は各地で戦乱が相次いだ時代です。そんな時代に平均より大きなニホンオオカミが九州の山野を駆け回っていたことになります。
 注目されるのは、そんな九州から、過去最大のニホンオオカミの頭骨が出てきたことです。
 2004年6月27日、北九州市で開かれた日本古生物学会で、同市小倉南区平尾台の石灰岩洞窟で1972年に発見された動物の頭骨がニホンオオカミの頭骨で、うち1点はニホンオオカミでは過去最大の頭骨であることが発表されました。報告したのは、群馬県立自然史博物館の長谷川善和館長らのグループでした。
 同博物館の研究報告(8号)から、詳細をみてみると――。報告された標本は4点で、うち3点は福岡県北九州市の平尾台の頭骨で、1点は熊本県泉村矢山岳産の頭骨と体骨格の一部です。いずれもニホンオオカミの骨と鑑定されていますが、注目されるのは平尾台のこむそう穴から発見された第2標本です。

ずば抜けた頭骨が

 これまで、高知県仁淀村から発見された頭骨(全長235・8澄砲過去最大級とされてきました。ところが、こむそう穴の第2標本は、吻の先が欠落しているものの、下あごの長さは仁淀村のものより大きく、そこから推定すると、頭骨全長は242・1世函△海譴泙任離縫曠鵐オカミでは最大級となります。
 同研究報告が掲載している各地のニホンオオカミの頭骨30点の表によれば、全長が230世鯆兇┐討い襪發里錬甘世靴なく、242世呂困佝瓦韻討い襪箸い┐泙后
 平尾台の洞窟からは、ステゴドンゾウやナウマンゾウも発見されています。しかし、こむそう穴の第2標本が発見された地点で採集された動物遺骸は、野ウサギなど現生種ばかりであり、「更新世まで古くはならない」としています。同時に、各標本とも化石化の程度は弱く、江戸時代から明治時代初期に捕獲されたものより、「古いものと思われる」としています。
 室町時代から江戸時代にかけてのニホンオオカミの中でも、最大級のものが日本列島の南方に位置し、一種の島国である四国や九州に生息していたということは大変興味深いことです。
 



Site Navigation