◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/2
ニホンオオカミ/列島に広く生息していたが

 1992年8月、広島県加計(かけ)町の福光寺に保管されていた頭骨がニホンオオカミの頭骨と鑑定されました。明治8年(1875年)に亡くなった「住職の大祖父」が寺近くで捕獲したとの伝承があるといいます。
 西日本では、四国や九州でニホンオオカミの頭骨が見つかっていますが、中国地方で、ニホンオオカミの頭骨が確認されたのは、初めてのことです。同地方に江戸時代、あるいは明治の初めまで、ニホンオオカミがいたのはほぼ間違いありません。

オオカミ2
「自然環境センター」の米田政明研究員(当時)が鑑定した広島県加計町のニホンオオカミの頭骨(1992年)

片山潜も書いた

 江戸時代末期に、加計町に近い岡山県弓削(ゆげ)村に生まれた著名な革命家、片山潜も『わが回想』(上巻)で、こう書いています。
 「又冬寒い晩などは夜更けて狼(おおかみ)の叫(な)くすさまじい嫌な声が聞こえることもあっておっかなかった」
 エゾオオカミと比べ、小柄だったニホンオオカミですが、遠吠(ぼ)えはすさまじいものだったようです。実際、ニホンオオカミの子どもさえ、強いイヌを恐れさせたという逸話がたくさん残っています。
 松谷みよ子さんの『現代民話考第十巻』(狼・山犬 猫)に、奈良県のこんな話が載っています。
 ――ある時、矢谷さんが村におりていくのに仔犬(こいぬ)がついてきた。仔犬が道を歩いていると、大きく強そうな犬までがこそこそ逃げてしまう。仔犬は実は狼だったのである。
 平岩米吉氏も『狼―その生態と歴史』で、「甲子夜話」にある次の話を紹介しています。
 ――伯州(鳥取県)の大山で狼の子を捕らえ、それを雲州(島根県)松江城下へもってきて、見世物にした。この狼の子は猫ほどの小さなものであったにもかかわらず、大きな犬が三間(5・5叩砲睥イ譴討い襪箸海蹐ら震えてしまって、鞭(むち)でうってもすすめなかった。

1905年が最後

 ニホンオオカミは1905年(明治38年)、奈良県鷲家口(わしかぐち)で捕獲されたのを最後に絶滅したといわれています。北海道を除く日本列島に広く生息していたニホンオオカミはなぜ絶滅したのでしょうか。
 平岩氏は、前記著書で、絶滅の原因として次の五つを上げています。
 ヽこ阿らの狂犬病の侵入と流行によって、病狼となったオオカミが人を襲うようになった△海里燭瓠当時発達の著しかった銃器の対象になった銃は鹿などの猟獣に向けられ、食物を奪ったこ発の進行により、オオカミの生息地が奪われたゲ噺い箸寮椰┐如激しい伝染力をもつ疫病がニホンオオカミの世界に侵入、集団の中に広がった。

有害獣として駆除

 しかし、果たしてこれらの原因だけなのでしょうか。この点で、ことしの春、東京農工大大学院農学府の中沢智恵子氏がオオカミセミナーで行った研究報告が大変参考になります。 それによれば、東北6県の公文書調査で、かなりの数のニホンオオカミが有害獣として駆除されていたことが判明したというのです。 とりわけ岩手県では、オオカミ捕獲者への手当金制度開始時の布達で、オオカミは天皇の支配拡張を妨げるものと断定するなど、家畜を捕食するオオカミを天皇への反抗と見なしていたことが明らかになりました。 中沢氏は、江戸時代からの狼害対策が明治になっても続き、とりわけ岩手県ではオオカミ駆除手当金制度を1875年に開始、その後の5年間ほどで、子オオカミも含め、合計201頭が捕獲されたことを明らかにしました。 狂犬病やジステンバーの流行による打撃のうえに、懸賞金までかけられたことが、ニホンオオカミの絶滅に拍車をかけたのは間違いありません。

参考:

わが回想〈上〉 (1967年)
現代民話考 10 狼・山犬・猫
狼―その生態と歴史

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