Archive for 11月, 2007

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/5
続・化石オオカミ/ナウマンゾウと一緒にきた?

 前回、化石オオカミは北方系オオカミで、気候の温暖化で南方系オオカミが勢力を強めた説を紹介しました。

駆逐説が否定され 

 しかし、国立歴史民俗博物館教授の春成秀爾氏によると、新たな動物種の登場から、大陸と日本列島の陸橋の存在は次のように推定されるとしています(「更新世末の大形獣の絶滅と人類」2001年)。 
 氷河時代ともいわれ、新型の哺乳(ほにゅう)動物が出現した更新世は、約180万年前から約1万3000年前とされています。 
 春成教授は、更新世前期(120―100万前)は、南西?の道(東中国海)からシガゾウなどが、更新世中期前半(60―50万年前)に南西の道からトウヨウゾウなどが、更新世中期後半(40―30万年前)に西の道(朝鮮海峡)からナウマンゾウなどが、更新世後期末(3―2万年前)に北の道(宗谷海峡)からマンモスなどがきたと推測されるといいます。 この説に従うと、3万年前より古い化石オオカミは北方系ではなく、北方系オオカミを駆逐したのは南方から移住してきたオオカミという説そのものが否定されてしまいます。

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化石オオカミの上あご(右側)と頭骨のレプリカ。佐野市葛生化石館

南西から渡った?

 それを裏付けるように、直良信夫氏は労作『日本産狼の研究』で、「最初に渡ってきたオオカミ」との見出しで、北九州市門司区松ケ枝町の洞窟(どうくつ)から出土したオオカミの化石について、こう記述しています。
 「大形のオオカミが、洪積世(注=更新世)のごく初期に、西南日本の一隅にゾウやサイなどと共にすでに出現していたという事実は、日本のオオカミを研究しようともくろんでいる私にとっては、特記に値することがらでなければならない。私の手もとには、現在では前臼歯その他の貧弱な資料しか残されていないが、臼歯の大きさからみて、大形のオオカミであったことがたしかめられた」
 さらに、直良氏は「北関東地方の化石オオカミ」の見出しで、栃木県葛生町(現・佐野市)会沢大久保宮田石灰工業の採石場から発見された化石オオカミについて、こう述べています。
 「復元して見ると、頭蓋(とうがい)骨長が約二六〇性叩基底骨長が約二五〇性辰任△辰燭ら、すばらしく大形なオオカミであったことが考えられよう。シベリア産のオオカミ(頭蓋骨長二三五・二性叩基底骨長二一九・〇性叩砲鉾罎戮討澆襪函頭骨はひとまわりほど大きく…」
 直良氏は、この葛生町の化石オオカミの生息年代を「下部洪積世(注=更新世前期)の終り頃のものか、あるいは中部洪積世のある時期」としています。同じ層からは、ヒョウや褐色グマの化石も発見されています。
 化石オオカミは北方系オオカミというより、南西あるいは西の道から、トウヨウゾウやナウマンゾウと一緒に日本列島に渡ってきたようです。

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ナウマンゾウの骨格(更新世後期)。佐野市葛生化石会館

次第に寒くなり…

 直良氏は、前出の著書で、こう指摘しています。 「日本の洪積世はその前半は南方系のゾウの分布が示しているように、概して熱帯性獣類の棲息に好条件をもった環境が、久しく続いていた。したがってこのような気候風土では、北ユウラシア系に属するオオカミにとっては、割合にすみにくい世界であったといえよう」 ところが、日本の洪積世(更新世)も中期ごろから、しだいに寒くなってきたようで、続いてこう述べています。 「そのために北ユウラシア系好寒性の野獣化石の発見される地点からは、多少の差異はあってもオオカミの化石骨の出土が多い。発見される量も多いが個体の異常な発達が特に目立つ」

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/4
化石オオカミ/青森県尻屋崎から世界最大の臼歯

 2000年1月15日、長野県飯田市美術博物館の学芸員、小泉明裕氏は、東京都昭島市の多摩川の河床に露出する「上総層群」から、170万年前のイヌ属の化石を発見したと発表しました(中日新聞同月16日付)。

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1904年ごろ捕獲された和歌山大学のニホンオオカミの剥製

臼歯34・5ミリも

 イヌ属といっても、イヌはまだ地球上に存在していない年代です。オオカミやコヨーテの祖先といってよい化石かもしれません。
 化石は、下あごの第一臼歯の長さが約30世如▲ナダやユーラシア大陸に生息するタイリクオオカミや、日本各地で化石が発見されている大型の「化石オオカミ」に近い大きさでした。
 数十万年前に生存した日本の化石オオカミは、栃木県葛生町(現・佐野市)、青森県下北郡東通村の尻屋崎、静岡県引佐郡井伊谷村(現・浜松市北区引佐町井伊谷)などの石灰洞などで発見されています。
 斎藤弘吉氏は、化石オオカミについて、著書『日本の犬と狼』(1964年刊)でこう指摘しています。
 「これらを計測してみると、その体格が共通して現代の日本狼、朝鮮狼、支那狼よりはるかに大きく、また日本の石器時代の狼よりも大きい。我が国の化石狼と匹敵するのは全世界の現代の狼のうち、最も体格の大きいシベリア、北海道の狼である。この化石狼の下第一臼歯はおよそ28整幣紊發△辰董特に尻屋崎から発見のものは34・5世發△蝓現在まで全世界で発見された狼の同歯中最大である」

中型の日本犬ほど

 実際、1988年の国立科学博物館の「日本人の起源展」の資料に掲載された静岡県引佐町の化石オオカミの下あごの化石は、ニホンオオカミの下あごの1・5倍ほどもあります。
 では、ニホンオオカミの大きさはどのくらいかというと、下第一後臼歯が24世ら28世任后イヌ科動物の研究家で知られる平岩米吉氏によれば、肩までの高さが55汰宛紊如◆崙本犬の中型の雄、あるいは、雌のシェパード犬の大きさに、きわめてよく似ている」そうです。
 筆者が展覧会で見た和歌山大学所蔵のはく製のニホンオオカミも、肩の高さが52・5造如中型の日本犬ぐらいありました。これに比べ、エゾオオカミは、ずっと大きかったようです。
 1938年、北海道を訪れた直良信夫氏は、アイヌの古老から明治初期のエゾオオカミの生態を聞きだすことができたとして、『日本産獣類雑話』で、こう書いています。
 「耳は立耳で毛が長く、背は茶褐色、腹は淡褐色、尾は絶対に巻く事なく、肩高一米、首が比較的短かく胴体はよく太って丸みをもっていた。家犬のようにワンワンと吠えるのではなく、狼特有のウォーウォーであった」
 肩高1辰蓮▲ーバーのようです。というのは、ハイイロオオカミ(タイリクオオカミともいう)の肩高でさえ、68造ら97臓丙泉忠明著『野生イヌの百科』)とされているからです。ちなみに平岩米吉氏は、有名な「オオカミ王ロボ」の肩の高さは91造世辰燭肇掘璽肇鵑記載している、とのべています。

なぜ姿を消した

 前にのべたように、体重からいって小型のハイイロオオカミのオスぐらいだったエゾオオカミの肩の高さは、ハイイロオオカミより低かったと考えられます。では、日本列島にいた大型の化石オオカミはなぜ、姿を消したのでしょうか。 斎藤弘吉氏は、氷河期に北方の大型オオカミが日本に生息していたが、日本が温暖期に移るころになって、南方系の小型のオオカミが移住し、気候の変動とともに主力を占め、ニホンオオカミの祖先になったという趣旨の結論をのべています。 

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/3
佐川のオオカミ/高知/最大級の頭骨、四国で発見

 1999年3月5日、毎日新聞が、「ニホンオオカミの最大級頭がい骨 高知県の旧家で発見」と報道しました。

先祖が山中で射殺

 この頭骨は、高知県仁村森の片岡幸貞さん(当時73歳)方に「先祖が山中で天保八年(一八三七年)に射止めた」と伝えられ、保管されていたものでした。
 頭がい骨の最大長は23・5造如日本各地で発見されたニホンオオカミの頭骨では最大と大阪市立大学医学部で鑑定されました。骨の上部に弾丸で貫いた穴があり、骨には肉片も付着しており、DNA鑑定も可能でした。

江戸時代まで生息

 なぜ四国に大型のニホンオオカミが江戸時代まで生息していたのか。仁淀村(現在は合併して仁淀川町)の近くに佐川町というところがあります。
 斎藤弘吉著『日本の犬と狼』によれば、紀元前5000年から紀元前後にわたるわが国の遺跡から、他の獣骨とまじってオオカミの骨が発掘されています。そのなかでも大きいのが、この佐川町で発掘されたオオカミの骨でした。
 斎藤氏はこう指摘しています。
 「特に土佐佐川の洞窟からは、日本石器時代の狼としては最も体格の大きいものが数体分、東大長谷部教授等によって発掘された」「わが国石器時代の狼のうちでも、その体格が特に大きい土佐佐川発掘のものは、現代日本狼よりも大きいが、地質時代の化石狼よりは小さく、ほぼ現代朝鮮狼の中体格くらいである。佐川以外の各地から発掘された石器時代狼の体格は、ほぼ現代日本狼の範囲内である」
 斎藤氏のいう「現代日本狼」とは、江戸時代中期以後に採集されたもので、主に頭骨です。

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ニホンオオカミの骨格 佐野市葛生化石館

発見した

 骨に咬痕 佐川オオカミが発掘されたのは、佐川町城ノ台の石灰洞遺跡です。1941年(昭和16年)に長谷部言人博士らによって調査されたものです。
 『高知県の考古学』(1966年発行)は、縄文早期とみられるこの遺跡について、こう指摘しています。
 「調査の結果、石鏃・石槌・土器片などの遺物は洞窟の奥深いところから、洞中の堆積土中からは人骨をはじめ狼その他の獣骨が発見されている」
 「これらについても同遺跡を調査された長谷部博士は、石器時代人の食糧になった獣類などの骨でなく、これらの骨のなかにある狼が洞窟内にくわえこんだ動物の遺残であるとされ、穴熊や狸の骨には狼の咬痕がついているとされている。この狼の骨はこれも長谷部博士の研究によれば、特に犧汗醢記瓩般召鼎韻蕕譟廖崙貶源代には本州・四国・九州に住んだであろうとされている」
 珍しいのは、この遺跡からは小柄な老男子の骨の破片が多数発見され、なかにはオオカミのかみ痕が発見されていることです。

シベリア系の血?

 さて、佐川オオカミはどこからきたのか。ニホンオオカミの研究家で知られる直良信夫氏は『狩猟』(1968年刊)の中で、こう書いています。
 「本州、四国、九州には、ニホンオオカミとよばれていた、やや小型のオオカミが棲息していたが、実際には、そのような小型のものばかりではない。古墳時代後期の頃まで、エゾオオカミなどとともに、シベリアオオカミの系統にはいる大型のオオカミも棲息していた」
 縄文時代の犧汗醢記瓩塙掌融代の仁淀村のオオカミは、古墳時代まで四国に生き残っていたシベリアオオカミの血を引いているのでしょうか。

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/2
ニホンオオカミ/列島に広く生息していたが

 1992年8月、広島県加計(かけ)町の福光寺に保管されていた頭骨がニホンオオカミの頭骨と鑑定されました。明治8年(1875年)に亡くなった「住職の大祖父」が寺近くで捕獲したとの伝承があるといいます。
 西日本では、四国や九州でニホンオオカミの頭骨が見つかっていますが、中国地方で、ニホンオオカミの頭骨が確認されたのは、初めてのことです。同地方に江戸時代、あるいは明治の初めまで、ニホンオオカミがいたのはほぼ間違いありません。

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「自然環境センター」の米田政明研究員(当時)が鑑定した広島県加計町のニホンオオカミの頭骨(1992年)

片山潜も書いた

 江戸時代末期に、加計町に近い岡山県弓削(ゆげ)村に生まれた著名な革命家、片山潜も『わが回想』(上巻)で、こう書いています。
 「又冬寒い晩などは夜更けて狼(おおかみ)の叫(な)くすさまじい嫌な声が聞こえることもあっておっかなかった」
 エゾオオカミと比べ、小柄だったニホンオオカミですが、遠吠(ぼ)えはすさまじいものだったようです。実際、ニホンオオカミの子どもさえ、強いイヌを恐れさせたという逸話がたくさん残っています。
 松谷みよ子さんの『現代民話考第十巻』(狼・山犬 猫)に、奈良県のこんな話が載っています。
 ――ある時、矢谷さんが村におりていくのに仔犬(こいぬ)がついてきた。仔犬が道を歩いていると、大きく強そうな犬までがこそこそ逃げてしまう。仔犬は実は狼だったのである。
 平岩米吉氏も『狼―その生態と歴史』で、「甲子夜話」にある次の話を紹介しています。
 ――伯州(鳥取県)の大山で狼の子を捕らえ、それを雲州(島根県)松江城下へもってきて、見世物にした。この狼の子は猫ほどの小さなものであったにもかかわらず、大きな犬が三間(5・5叩砲睥イ譴討い襪箸海蹐ら震えてしまって、鞭(むち)でうってもすすめなかった。

1905年が最後

 ニホンオオカミは1905年(明治38年)、奈良県鷲家口(わしかぐち)で捕獲されたのを最後に絶滅したといわれています。北海道を除く日本列島に広く生息していたニホンオオカミはなぜ絶滅したのでしょうか。
 平岩氏は、前記著書で、絶滅の原因として次の五つを上げています。
 ヽこ阿らの狂犬病の侵入と流行によって、病狼となったオオカミが人を襲うようになった△海里燭瓠当時発達の著しかった銃器の対象になった銃は鹿などの猟獣に向けられ、食物を奪ったこ発の進行により、オオカミの生息地が奪われたゲ噺い箸寮椰┐如激しい伝染力をもつ疫病がニホンオオカミの世界に侵入、集団の中に広がった。

有害獣として駆除

 しかし、果たしてこれらの原因だけなのでしょうか。この点で、ことしの春、東京農工大大学院農学府の中沢智恵子氏がオオカミセミナーで行った研究報告が大変参考になります。 それによれば、東北6県の公文書調査で、かなりの数のニホンオオカミが有害獣として駆除されていたことが判明したというのです。 とりわけ岩手県では、オオカミ捕獲者への手当金制度開始時の布達で、オオカミは天皇の支配拡張を妨げるものと断定するなど、家畜を捕食するオオカミを天皇への反抗と見なしていたことが明らかになりました。 中沢氏は、江戸時代からの狼害対策が明治になっても続き、とりわけ岩手県ではオオカミ駆除手当金制度を1875年に開始、その後の5年間ほどで、子オオカミも含め、合計201頭が捕獲されたことを明らかにしました。 狂犬病やジステンバーの流行による打撃のうえに、懸賞金までかけられたことが、ニホンオオカミの絶滅に拍車をかけたのは間違いありません。

参考:

わが回想〈上〉 (1967年)
現代民話考 10 狼・山犬・猫
狼―その生態と歴史

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/1
エゾオオカミ/北海道/人間と共生した犲蹐鬚垢訖性

 日本列島には、百数十年前まで、2種類のオオカミが生息していました。ところが、明治時代に相次いで絶滅に追い込まれました。オオカミはなぜ、絶滅したのか。日本列島にはどんなオオカミがいたのか。探ってみました。
  ◇
 北海道にいたエゾオオカミは、人間にはやさしかったようです。

掃討作戦で絶滅?

 北海学園大学教授だった更科源蔵氏の著書『コタン生物記』(1976年刊)にこんな話が載っています。
 ――狼のことを釧路地方では狩をする神と呼び、十勝地方では鹿を獲る神と呼んでいる。この神様は鹿を獲って満腹になると、人間を呼んで残りの肉をさずけてくれるからである。また狼が鹿を獲って食べているところに行きあっても、咳払いをすると獲物を置いて人間に席を譲ってくれるものであるという。
 アイヌの人たちとエゾオオカミが爐いご愀賢瓩廼生できたのは、明治以前の北海道には信じられないくらいたくさんのエゾシカがいたからと思われます。ところが、平岩米吉氏の著書『狼―その生態と歴史』などによれば、明治に入って、続々と開拓民が送り込まれ、エゾシカを毎年何万頭も殺したため、エゾシカが激減しました。
 その結果、主食のシカを捕れなくなったエゾオオカミは家畜、なかでも牧場の馬を狙うようになったのです。このため、オオカミの掃討作戦が行われ、オオカミの捕獲者には、最高で1頭10円という高額の賞金まで出したのです。賞金制度が1888年に廃止されるまで全道で捕獲されたオオカミの数は1539頭とも1827頭ともいわれています(このなかには北海道開拓使だったエドウィン・ダン氏の献策によって牧場で毒殺されたオオカミは入っていません)。こうしてエゾオオカミは1889年(明治22年)ごろまでにほぼ絶滅に追い込まれたとみられています。

大きな頭と

 長い爪と… では、エゾオオカミはどれぐらいの大きさだったのか。作家の戸川幸夫氏がエドウィン・ダン氏の二男の夫人ダン・道子さんから拝借したダン氏の書いた『我が半世紀の回想』に貴重な記録があります。ダン氏はこう記しています。
 「十分に生育した狼は七十ポンドから八十ポンドの重量があり、大きな頭と、恐ろしい歯牙で武装された口とを持っている。一般に極めて痩せていたが、筋肉はすばらしく逞しかった。毛の色は夏の間は灰色であるが、冬になると灰色がかった白色になり、毛は厚く且つ長くなる。足跡はその大きさですぐわかる。一番大きな犬の足よりも三倍か、四倍の大きさがあり、その形は似ているが爪はずっと長い」
 70ポンドから80ポンドといえば、換算すれば32舛ら36舛砲覆蠅泙后アーネスト・T・シートンによれば、アメリカのハイイロオオカミの体重がオス35繊腺苅鍬繊▲瓮坑横記繊腺械境舛箸いい泙垢ら、ハイイロオオカミの小型のオスぐらいだったことになります。

「狼の王」の学名も

 平岩氏と並んで、戦前から日本犬とオオカミの研究に打ち込んできた斎藤弘吉氏は著書『日本の犬と狼』(1964年発行)で、エゾオオカミについてこう指摘しています。
 「現在、標本の残っているものは、北海道大学博物館に牡牝の剥製一対とアイヌ人が狩猟神として祭った狼頭骨牝牡各一頭分収蔵されており、他に故杉山氏蔵の狼頭骨一個、並びに大英博物館所蔵の牡頭骨があって合計六体である。大英博物館蔵の頭骨は特に巨大で、先年同博のポコック氏が、カニス・ルプス・レックスという狼の王の意の新学名をつけて発表したくらいであって、旧大陸で獲られた狼中では、シベリアのコリマ河畔で捕った、カニス・ルプスデュダンスキー牡が匹敵するくらいであろう」

参考:

コタン生物記〈2 野獣・海獣・魚族篇〉

日本の犬と狼 (1964年)



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