| 遠藤顧問の歴史だよ! 十七回目 日本のマスコミの原点 by 遠藤顧問 衝撃を受けた「やらせ」写真 今から3年ほど前になるが、私とマツナガの雑談の最中、マスコミの「やらせ」の話題が出た。その時、私が最も衝撃を受けた「やらせ」は、「昭和20年8月15日の写真」だと彼に話した。 「皇居前の広場で、皇居に向かって国民が土下座し、うな垂れている」写真のことである。 「終戦記念日」に関するニュースなどでは、必ずといってよいほど、この類いの写真が映し出され、それと同時に、「たえ難きをたえ、忍び難きを忍び」という陛下の玉音放送が流される。当時の国民が、「敗戦」の事実を知らされたショックがじわじわと伝わってくる、まさに「歴史的な瞬間」である。 ところが、写真の中で土下座して写っていた青森県のある男性が以下のような証言をしている。 「昭和20年8月14日(つまり、玉音放送の前日)、所用で訪れた明治生命ビル(皇居前)を出て、“宮城前に来たのだから拝んでいこう”という気持ちで二重橋の方へ歩いていったところ、丁度、“写真”の位置で、腕章を巻いたカメラマンに呼びとめられ、“写真を撮りたいので、そこに土下座してほしい”と言われた。他に“写真”のように多くの人々が座らされ、“写しますからお辞儀をして下さい”と言われて撮られたのが、あの“写真”です」・・・・・・・・・・・・・(本文より) 小見出し 衝撃を受けた「やらせ」写真 敗戦時の新聞 政府系新聞(『毎日新聞』の場合) 政府系新聞(『読売新聞』の場合) 政府系新聞(『朝日新聞』の場合) 自らの歴史に対する真摯な検証を望む ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 日本のマスコミの原点 2009年4月26日 |
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日本のマスコミの原点
2009年4月26日 日曜日今も昔もかわらない 「戦う李朝・戦わない徳川幕府」
2009年4月19日 日曜日 韓国でもそこそこ著名なエコノミストで、韓国の中央銀行の政策にもそこそこ影響力のある韓国人がいる(在日ではない)。ま、ボスの友人の一人である。
当方のボスが米国に留学という名目で遊びほけていたときに、同じく、米国に留学して、こっちは真面目に勉強していた。同じアジア人の留学仲間ということで、安アパートを4人でシェアしていたときの同居人の一人だった。
年齢的には同年代で、互いに貧しかったから、意気投合したらしいけれど、うちのボスの場合は、歳の離れた従兄弟がカリフォルニア大学で教授をしていたから、貧しいといっても、いざ困れば、その従兄弟の家におしかけて、飯をたかったり、食料品を略奪したり、小遣いをせびることができた。しかし、その韓国人はそうはいかなかった。
しかし、貧困であるがゆえに、彼は、「歯をくいしばって勉強」して、ちゃんと学位をとった。うちのボスは、あまちゃんだから、「ラスベガスで皿洗いのバイトをして、いかさまカードの捌き方をおぼえた」ぐらいで、学位もくそもない。
その後、ボスは、中東や、東南アジアへ放浪の旅にでるのだが、彼は愛国心がつよかったからちゃんと、韓国に帰国して政府系の仕事につく。これは珍しくて、韓国からの留学生というのは、ちゃんと勉強して学位をとっても、帰国せずにそのまま米国で企業などに就職して、そこそこ金儲けして、一軒家をたてて、米国の市民権をえて、一族を米国によぶ・・・。これが、ひとつのアメリカンドリームらしい・・・・当時の韓国人。
だから、米国内の日本人社会とちがって、米国内の韓国人社会というのは、特有の性格をもつ。特有の階級をつくる。はやい話が、雑貨屋や庭師をいとなんで頑張る階級と、米国の大学をちゃんと卒業してそこそこの米国企業に就職する階級。さらに米国で起業して一旗あげる階級。
「実は米国内の移民社会においても、韓国というのは、独自の階級社会をつくる」(ボス談)らしい。
そのエコノミストの韓国人は、しばくら韓国の政府系の仕事についていたけれど、政治体制がかわって(つまり、大統領がかわった)、仕事にあふれてしまい、日本にきた。その際に、就職の世話をしたのはうちのボスである。ま、永田町に陳情したのである。
しかし、逆境につよい彼は、日本でも働きながら、日本の大学院で学びここでも、学位をおさめる。米国で学位をおさめ、日本でも学位をおさめる。これはエリートである。この時に、竹中平蔵さんとか知り合った。日本語はボスがおしえた。ボスもその時に、韓国語をおしえてもらったそうだが、「うん?全部忘れた」(ボス談)そして、ふたたび韓国に帰国(つまり、また大統領がかわった)して、そこそこ著名なエコノミストの地位を築いたのである。
で、めでたし・・・・・めでたし・・・・・
ということなのだが・・・・実は、そういうことではない。
「日出づる処」の外交
2009年4月7日 火曜日遠藤顧問の歴史だよ!
十五回目 「日出づる処」の外交
by 遠藤顧問
古代史のおもしろさ
専門家には怒られるかも知れないが、古代史は、とにかく、おもしろい。
他の研究分野に比べて、史料は、ほとんど研究し尽くされた感があるのに、内外の記録の内容が合わなかったり、字が欠けていたりするものも多いので、「史実として断定できない」事柄が幾つもある。
有名な「邪馬台国」に関しても、史料に出てくる漢字の意味を選択したり、読み方を変えてみたり、距離や方角を自分なりに推定することで、史実に迫っていく。なかなか「断定できない」ので、そこには「ロマン」や「ドラマ」が介在する余地が十分にある。したがって、古代史は昔から作家(推理小説家、SF作家を含む)も参入しやすい分野である。・・・・・・・・・・・
「秀吉の刀狩り」神話を覆す・・・庶民はいつから「丸腰」にされたのか
2009年3月29日 日曜日・・・・・・・・・・・・・ 歴史学界では、不思議なことに、秀吉の「刀狩り」に関する研究は非常に少なく、桑田忠親氏の「豊臣秀吉の刀狩り」という論文が1943(昭和18)年に発表されて以来、40年間、本格的な実証研究と言えるものがなかった。
しかしその間に、1588(天正16)年に発令された三ヶ条の「刀狩令」の文面のみを見て、「秀吉の刀狩りは、一揆を防ぐために百姓から武具を取り上げることが本来の目的であり、これを受け継いだ徳川幕府によって、近世の百姓は“武装を剥奪された被支配者”となったのである」というような解釈が一般的となった。ところが1983年になって、塚本学『生類をめぐる政治』(平凡社選書)が出版され、江戸時代の村々には鉄砲が多数保有されていた事実が明らかにされた。たとえば18世紀初頭の信州上田藩では、藩(武士)が所有する鉄砲の数が100挺であるのに対して、百姓・町人の所有するものは300挺を越えていたのである・・・・・・・・・・・・・・(本文より)
・・・・・・・・・・・・・ 当時の百姓たちは、けっして「丸腰」ではなかった。しかし、「百姓だけの意趣」のために鎌や鍬を持ち、「世のなかの非道を懲らすために一揆を起こすが、人を殺傷する武器はあえて使わない」という強い意思を示していたのである。
15世紀後半から続いた長い戦国の世がやっと終息し、徳川の世となった二百余年は、以上のような百姓・領主双方による“武器の抑制”という「自律の作法」によって平和が続いた。
この史実を是非とも、子どもたちの歴史教科書に掲載してほしいものである。
・・・・・・・・・・・・・・(本文より)
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神田千里『島原の乱』(中公新書) 日本人ならおすすめの一冊
2009年3月21日 土曜日 ジャーナリズムというよりは、論壇というか、歴史学会をまきこみつつ、話題になっているのが、連載中の「遠藤顧問の歴史だよ!」である。
いわゆる歴史認識というと、日教組の歴史認識と、それに迎合したかのような歴史認識があって、これはこれで、保守系といわれている論壇でもたびたび話題になっている。
ジャーナリズムでいうと、「歴史教科書」問題としてとりあげられることがある。
しかし、当方事務所の顧問であり、当方ボスの古くからの友人であり、ただの飲み屋のネーちゃん好きかもしれない遠藤顧問が、「その根底」から、見直し提唱しているのが、この「遠藤顧問の歴史だよ!」だ。
ま、ここには、飲み屋のネーちゃんはでてこないし、裸もでてこないし、うちのボスも登場しないので、安心してよめるということが第一のメリット。
「ジャーナリズムの基本が現場の取材にあるとしたら、歴史認識も思想性や時代性でかたるのでなくて、歴史そのもののもつ事実から出発すべきである」と珍しくまともなことをいっているのが当方のボス。
だから、ここでは、ただの日教組批判や、日教組に迎合したかもしれないマスコミや論壇批判はでてこない。また、ただ声高に騒ぐだけの、にわか保守に迎合することもない。
「日教組も、リベラルといわれている反日も、にわか保守も似たようなものだ。政治性や思想性をもって恣意的に歴史認識を語るべきでない」(当方ボス談)
であるからして、ここでは日教組は排除しない。
日教組の影響をうけたかもしれないリベラルといわれているマスコミも排除しない。なんとなく時代は保守だろうということで保守論壇になびいているにわか保守も排除しない。
ただし、現場の記者といえどもすべての事象やすべての現場を取材して、そこからすべての事実認定を抽出できるものではない。それは、当方の遠藤顧問とて同じである。
よって総論にはならないし、総論にはしない。
だいたい、歴史認識や、ジャーナリズムを総論でかたること事態が、恣意的であるし、恣意的にならざるえない。かってうちのボスなども影響をうけたかもしれない「唯物史観」のように・・・・。
「我々は誰も万能な神にはなれないし、ましてなるべきでない」(当方ボス談)
総論や、神を求める人には不要な連載であろう。
いや、このサイト自体が、総論と安易な結論を求める人には不要なのである。
邪悪な魂はもとめていない。
ただし、スケベは許容する・・・・・・らしい。
「たったひとつあるとしたら、今という同時代性を共有できることだけである。それ以上でもそれ以下でもない。人間死ねばただの無になる。その無に装飾品はいらない。
以上でおわり。
よし、酒でも飲みに行こう!!!」(当方ボス談)
ということで、これで本当におわってしまうのだが。
今回の「遠藤顧問の歴史だよ!」は・・・・・・・
堀田善衛『海鳴りの底から』・・・・類似箇所 二十箇所以上
2009年3月12日 木曜日
遠藤顧問の歴史だよ! の12回目は、
歴史研究と歴史小説についてです。
遠藤顧問の歴史だよ!
十二回目 歴史研究と歴史小説について
by 遠藤顧問
小見出し
歴史家供養
歴史小説の許容範囲
「研究書」と「小説」の文章比較の実例
類似箇所 二十箇所以上
歴史小説にみる間違った史実
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歴史研究と歴史小説について 2009年3月12日
ただの右翼でないことが、わかりました・・・・遠藤顧問
2009年2月14日 土曜日とうとう10回目の連載をむかえた遠藤顧問の歴史だよ!ですが、今回、10回目は大変に読み応えがあります。
遠藤顧問の歴史だよ!
十回目 日本における民主主義について
by 遠藤顧問
読者の方からもさまざまなメールをいただいています。
総じていえることは、みなさん真面目で、博識がある。
ただ、ひとつだけ紹介したいのは、というか、ボスがこれを、紹介しておけというのが、あります。
「遠藤顧問の歴史だよを、おそるおそる読んでいます。やっとわかりました。遠藤顧問はただの、右翼じゃなかったのですね」(読者のメールから、YOさん)
ほほう、ただの右翼でないとわかったということは、それまでは、ただの右翼と思われていたのだろうか?・・・・・というのは、ボスの感想なんですが、これはまあ、突っ込みはいれません。
で、「ただの右翼でない」と評価された遠藤顧問ですが、今回は、10回目記念ともういうべき、大作です。
小見出しをあげると以下になります。
「日本における民主主義について」
新憲法・戦後初の自由選挙を「盛り上げる」試み
国民は「盛り上がらなかった」
「憲法よりも米よこせ」
戦前の民主主義は「結構いい線まで行っていた」
戦前の「新しい政治体制」
翼賛体制は「デモクラシー体制」だった
ヒトラーも民主的に独裁者となった
記者会見における昭和天皇
立派な考え方、五箇条の御誓文
新政府首脳の自覚
近衛文麿の見解
明治憲法に「統帥権」という言葉はない
日本における民主主義の源泉(武士)
日本における民主主義の源泉(百姓)
民主主義は「最も危険の少ない方法」
中国を「シナ」と呼ぶ正当性 「シナ」人も納得!
2009年1月23日 金曜日
当方の、「調査分析報道・資料集」の『差別表現・不快語・注意語要覧』 2008年01月05日にいっていただくとわかるけれど、
「A…使用しない」
「B…特別な場合意外は使わない方がよい」
「C…文脈によっては使わない方がよい」
というランク付けがあって、万が一でもマスコミで飯をくっていこうとおもったら、真っ先に覚えなくてはなりません。
その中で、(民族・国際差別関連)というのがあって、
支那…A 中国 東シナ海、南シナ海は使用可(テレ朝)
支那そば…B 中華そば、ラーメン
支那竹…B メンマ
というのがあります。
ま、うちのボスなんか、平気で「シナ」と書いていますが、担当編集者や校閲の人がちゃんと修正してくれます。これマスコミのすごいところです。
ところが・・・・・・・・・・・・・・・・
遠藤顧問の歴史だよ!
七回目 「シナ」と呼ぶ正当性と「中国」と呼ばせる不当性
という、待望の原稿が登場します。
遠藤顧問とは、当方のボスの古くからの友人で、当事務所や、当サイトの顧問で、「金太郎と、桃太郎を一緒に合体させて変身!したような人」で、「ただの、飲み屋のネーちゃん好きで、現在、中年失業家。最近、暇をもてあまして、映画制作(非金儲け&良作品限定)に投資して、自己資産を目減りさせている人」(当方ボス談)なんですが、なんと、昔は女子高で、歴史の教員をしていました・笑。
で、肝心の「シナ」人も納得したという、中国を「シナ」と呼ぶ正当性について書いていただきました。それも中途半端じゃありません。まして、ただの政治的なプロパカンダではありません。その辺、ちゃんと区分けして、当方のサイトみてくださいね?頭の悪い人は、その辺、わからんようだから・・・・・。
これは、差別でなくて、区別だからね。
マスコミ関係者でも、見逃していた、貴重な文献を発掘!
屈指しての記述です。
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遠藤顧問の歴史だよ!
七回目 「シナ」と呼ぶ正当性と「中国」と呼ばせる不当性
小見出し
史実からみる「シナ」
シナ人の「文化倒流」と呼ぶ屈辱感
北京政府は、1915年の「二十一箇条要求」受諾の日を「国恥記念日」と定めた
日本人だけには、「シナ」と呼ばれたくない
1930年の外務大臣・幣原喜重郎の改称提案
大政翼賛会が「支那という呼び方をやめて中国としよう」と提唱したが国民は受け入れず
では、いかように、「支那」の語は「死語」化したのか?
マスコミはどのような根拠をもって、規制したのか?
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「シナ」と呼ぶ正当性と「中国」と呼ばせる不当性2009年1月23日
人は特別な思想を注入されない限りは、自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである
2008年12月17日 水曜日
歴史教育を考える―日本人は歴史を取り戻せるか (PHP新書)
著者:坂本 多加雄
販売元:PHP研究所
発売日:1998-02
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「人は特別な思想を注入されない限りは、自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである」田母神俊雄『日本は侵略国家であったのか』より
田母神氏の上記論文は、11月3日の当ブログ(編集注:コメント欄もぜひ一読を)に、また、『WiLL』2009年1月号や『正論』平成21年1月号にも全文が掲載されたので、多くの人々に読まれたことと思う(まだ読んでいないという方は、是非、冷静に全文を読んで頂きたい)。
その内容についての賛否は、当ブログのコメント欄や各新聞・雑誌等の投書欄にも多数寄せられており、国民の間で、今後も活発な議論がやりとりされることを期待したい。
政治家・官僚・マスコミの中には、この田母神論文の内容に関する活発な議論のやりとりが、一過性のものであってほしい、と願う者もいると思うが、本来、「歴史認識」は、政治や行政が強制するものではないし、まして、マスコミが「ある方向にもっていこう」として扇動することがあってはならない。
特にテレビの司会者やコメンテーターの中には、論文の中身をよく吟味せずに初めから悪意丸出しのいわゆる「ためにする」議論や、ただヒステリックなだけの暴言が見受けられたが、このようなことは厳に慎むべきである。
あくまでも、史実の検証の積み重ねが国民の前に提示されることが重要であり、我々は、真摯にそれらを冷静に吟味していくことが大切であろう。
田母神論文の内容、特に「史実」に関する具体的な分析は、今のところ、中西輝政「田母神論文の歴史的意義」(『WiLL』2009年1月号)が分かりやすい。この中で中西氏は、『週刊新潮』に載った秦郁彦氏(歴史学者)のコメントに対する史的批判を展開されているので、今後、もし秦氏から反論がなされるならば、それも併せて読んで頂きたい。
それから、田母神氏とは全く異なる歴史認識から首相(当時、小泉氏)を批判した防大校長がいまだに更迭されていない事実を取り上げた濱口和久「OBが直言!防衛大を蝕む五百旗頭イズムの大罪」(『正論』平成21年1月号)も是非、読んで頂きたい。大手のマスコミにほとんど取り上げられていないこの問題について、国民の間で、もっと活発な議論がやりとりされることを切に願うものである。
さて、前置きが長くなってしまったが、冒頭の田母神氏の指摘に戻ろう。今回のテーマとしたいのは、「愛国心」である。
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人は特別な思想を注入されない限りは、自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである 2008年12月17日
戦争を望んだ中国、望まなかった日本
2008年12月2日 火曜日 当事務所の顧問である遠藤顧問。
実は、これまで「遠藤顧問の歴史だよ」ということで、不定期連載をしていた。
なんせ、不定期だから、2回分しかない。
沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定問題 “第二の「教科書誤報事件」にしてはならない” 2007年10月11日
大政翼賛会について by 遠藤顧問 2007年11月10日
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その「遠藤顧問の歴史だよ」が読者限定で復活しています。
復活記念で無料公開しています。
日教組以外の人、読んでください。
今回は、「ここが卓見」です。
あつかったのは、
北村稔・林思雲『日中戦争 戦争を望んだ中国 望まなかった日本』PHP研究所
