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	<title>オフイス・マツナガのブログWordPress版 &#187; 【遠藤顧問の「歴史」だよ！】</title>
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		<title>「桶狭間合戦」で、信長が敵前で迂回コースをとって今川義元の本陣にせまり、奇襲して撃破したというのは、完全なフィクション。</title>
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		<pubDate>Fri, 02 Oct 2009 00:42:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>takashikitaoka</dc:creator>
				<category><![CDATA[【遠藤顧問の「歴史」だよ！】]]></category>

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		<description><![CDATA[遠藤顧問の歴史だよ！　　第二十六回目　“創作”から“史実”へby 遠藤顧問小見出し歴史認識の大きなギャップ信長の伝記小瀬甫庵（おぜ　ほあん）という小説家参謀本部の古戦史研究『信長公記』が描く桶狭間の戦い残念なこと、悔やま [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><P><BR><BR><BR><B><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/C12" target=_blank><FONT color=#0066cc>遠藤顧問の歴史だよ！　</FONT></A>　<BR>第二十六回目　“創作”から“史実”へ<BR>by 遠藤顧問</B><BR><BR><BR>小見出し<BR><BR><B>歴史認識の大きなギャップ<BR><BR>信長の伝記<BR><BR>小瀬甫庵（おぜ　ほあん）という小説家<BR><BR>参謀本部の古戦史研究<BR><BR>『信長公記』が描く桶狭間の戦い<BR><BR>残念なこと、悔やまれること</B><BR><BR><BR>・・・・・・・・・概要・・・・・・・・・・</P><br />
<P>&nbsp;</P></p>
<p><span id="more-1658"></span><br />
<P><BR>　「とりわけ信長については、近世の幕を開けた人物とか、あげくには近代の先駆けをなしたなどと、もてはやされることも多いが、実際にはどのような領国支配をしていたのかすら、ほとんどわかっていない」（黒田基樹氏）<BR><BR>　歴史好きな人は、今川義元を破った桶狭間（おけはざま）での迂回による奇襲攻撃、当時最強と言われた武田軍に対する長篠（ながしの）の戦いでの鉄砲三段撃ちなど、具体的な例を上げて、信長の天才的な戦術を賞賛する。また企業の経営者の中には、桶狭間の戦いで、義元を討ち取った毛利新助よりも、今川軍主力の位置情報をもたらした簗田政綱（やなだ　まさつな）が勲功第一とされた話から、信長は「情報の重要性」をよく認識していた、革新的なトップであると絶賛する人も少なくない。<BR><BR>　小瀬甫庵（1564年～1640年）は、桶狭間の戦いから半世紀が過ぎた頃、牛一の『信長公記』を自分流に書き直して、「信長記」という本を刊行した。現在、「甫庵信長記（ほあんしんちょうき）」と呼ばれているこの本は、今の言葉でいえば、“ベストセラー”となり、広く大衆に親しまれたのであった。<BR>　これは、“読み物”として面白くするために、事実を歪（ゆが）めたり、誇張したりするほかに、ありもしない合戦を創作するなど、甫庵独自の創意工夫が随所にちりばめられた小説であった。</P><br />
<P>　では、本当の「桶狭間合戦」とは？<BR><BR>　　以前、『裁判官の歴史認識』で言及した加藤玄智（1873～1965年）の創作などは、「甫庵信長記」と同じような悪影響を今も我々に与えている。<BR>　加藤の創作（彼が「こうあるべきだ」として想定した理想状態）は、それを無批判に受容してしまったホルトム（アメリカ人の宗教研究家）やバンス（GHQ民間情報局の宗教班責任者）によって史実化されてしまった。さらにそれは、宮沢俊義（東大名誉教授、『憲法』有斐閣などの著者）ら、権威ある学者たちの著作で増補されて、結局、「明治憲法によって天皇が現人神（あらひとがみ）とされて以来、日本政府は国家神道を半世紀以上の間、国教としての立場に置いた。そして、国家神道思想の教育を国民一般に対して行ったため、それが日本という国家を支え統治する思想となったのである」といったものが、戦後の定説となった。<BR><BR>　この定説は、当然、戦後の裁判官たちの頭の中に、すんなりと刷り込まれていった。<BR><BR>　彼らが下した判決（昭和52年の津市地鎮祭事件・最高裁判決および平成4年の愛媛県知事玉串料等奉納事件・高松高裁判決など）は、史実ではなく、加藤玄智という一人の宗教学者の創作に基づいて生まれたものなのである。<BR>　加藤が「こうあるべきだ」として想定した理想状態は、昭和10年代の後半に現実のものとなった。日本が国家存亡の危機に直面したためである。国家存亡の際には、伝統的なものが国民を統合するために利用されるのは、どこの国でも同じである。<BR>　天皇を現人神と仰ぎ、教育や政治を支配するような「国家神道」の寿命は、ほんの「数年間」でしかなかった。それは「半世紀以上の間」続いたものではなく、まさに“短期間の異常事態”だったのである。<BR><BR>　かつての軍部、現在の裁判所。両者の分野は異なるが、いずれも権力を有している点で、変わりはない。人の人生そのものを左右するほどの絶大な権力である。それらが、“創作”を“史実”とすることなど、決してあってはならないことなのである。<BR><BR>　小瀬甫庵や加藤玄智らの創作、その内容は現代に生きる“亡霊”とも言える。<BR>　我々自身がそれを退治しない限り、日本国民は将来にわたって悪しき影響を受け続けるであろう。<BR><BR>・・・（以上　本文より）・・・<BR><BR>↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　<BR><BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/C12" target=_blank><STRONG><FONT color=#0066cc>遠藤顧問の歴史だよ！　</FONT></STRONG></A>は当サイトでしかよめません。<BR><BR>↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　<BR><BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/91176"><FONT color=#0066cc>創作”から“史実”へ</FONT></A>　2009年10月2日<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR></P><br />
<P><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>&nbsp;</P></p>
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		<title>地方分権の歴史的性格</title>
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		<pubDate>Tue, 22 Sep 2009 00:35:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>takashikitaoka</dc:creator>
				<category><![CDATA[【遠藤顧問の「歴史」だよ！】]]></category>

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		<description><![CDATA[　「地方分権の歴史を書け」とマツナガから言われた時、それはすでに書いた『時代を超 えて連続するもの・・・「職」と「役」の体系』や『明治維新の謎』や『日本における民主主義について』などで部分的に言及しているので、それを見て [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><BR>　「地方分権の歴史を書け」とマツナガから言われた時、それはすでに書いた<A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/80576" target=_blank>『時代を超 えて連続するもの・・・「職」と「役」の体系』</A>や<A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/76172" target=_blank>『明治維新の謎』</A>や<A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/65149" target=_blank>『日本における民主主義について』</A>などで部分的に言及しているので、それを見てくれ、と私は言った。<BR><BR>　しかし、彼は「それは、それとして、これはこれとしよう。で、これはそれだから、あれについて・・・。<BR><BR>　とにかく、書いてよ」と言う始末であった。 <BR><BR></p>
<p><span id="more-692"></span><br />
<P>　日本は現在、民主党政権が誕生し、国民の多くは、従来の政治が「変わる」ことをとても期待している。もちろん、私もその中の一人である。<BR>　ただ、恥ずかしながら、私は今の政治で問題となっている（らしい）「地方分権」の話をよく理解していない。そこで、『ウィキペディア』の「地方分権」の項目を見たら、「地方主権」という初めて見る用語が書いてあって、正直、驚いたのである。<BR><BR>　だが、その説明には、『「地方主権」における「主権」という語は、財源と権限における「主導権」の略、若しくは「主体性」の比喩表現として用いられており、「国家の統治権」を意味する「主権」とは異なる』と書かれていたので、少々安心した。<BR><BR>　いずれにせよ、今の政治的話題である「地方分権」の内容について、私はさっぱり判らない。それとは関わりなく、日本の封建制、特にその中に見られる地方分権型の領主権といったものの歴史的性格についてまとめることは、面倒だが、可能である、とマツナガに言ってしまった・・・わけである。<BR><BR>　もちろん、今回の原稿の内容が、その責を果せたかどうか、非常に不安であるが、私なりに「変わらないもの」「連続しているもの」の重要性だけは、強調させて頂いたつもりである。<BR>もし、遠い将来、現在の民主党政権が行う“大改革”が歴史的に評価される場合があれば、尾藤正英氏のような優れた歴史家からは、「変わらないもの」「連続しているもの」の存在が、きっと注視されることであろう。</P><br />
<P>↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓<BR><BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/C12" target=_blank><STRONG>遠藤顧問の歴史だよ！　</STRONG></A><STRONG>　<BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/90006" target=_blank>第二十五回目　地方分権の歴史的性格</A><BR><BR></STRONG></P></p>
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		<title>「地方分権」を考える前に、「日本の地方自治の原型」を考える・・・</title>
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		<pubDate>Wed, 16 Sep 2009 05:48:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>takashikitaoka</dc:creator>
				<category><![CDATA[【遠藤顧問の「歴史」だよ！】]]></category>

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		<description><![CDATA[　読者限定の記事で申し訳ないのだが、あちこちに波紋を投げかけたのが、■現役事務次官激白・・・鳩山政権は短命の運命　2009年9月9日　というエントリー。　ここで地方自治にふれてこういっている。「今、いわれている地方分権、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><BR>　読者限定の記事で申し訳ないのだが、あちこちに波紋を投げかけたのが、<BR><BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/88492" target=_blank>■現役事務次官激白・・・鳩山政権は短命の運命　2009年9月9日</A><BR><BR>　というエントリー。<BR><BR>　ここで地方自治にふれてこういっている。<BR><BR>「今、いわれている地方分権、地域主権への道は遠いというか、実現しませんね。<BR>　地方分権について、議論している地方自体体の首長さんの会合に何度か出席したことがありますが、３人の首長さんがいればみな別々のことをいっています。<BR>　それは、当然で、国のグランドデザインとしての地方分権でなくて、自分の地域を優先させた地方分権論なわけです。これはその場でいえませんでしたが、国家のグランドデザインとしての地方分権という視点にたって論理を構築したり、議論している人は一人もいません。<BR><BR>　また、地方分権の論理の前提には自治権があるということです。<BR>　つまり、他（注：「多」の間違い）民族で構成される国家は、その統治のシステムとして、自治権をあたえた。また、少数民族は自治権を主張した。これは血なまぐさい紛争の歴史から誕生したものです。<BR>　これが地方分権の下敷きにあります。<BR>　つまり、国家の統治のありようの問題なのです。<BR>　この辺の視点が欠落している。<BR>　であれば、日本で論じるべき、もしくは導入すべきは、欧米から移植した「地方分権論」でない。<BR>　日本流の「役割分担論」なわけです。<BR>　これは、退官したら、ぜひ研究したいテーマですね。<BR>　そういえば、オフイス・マツナガの連載記事に「遠藤顧問の歴史だよ！」というのがあって、そこにこのヒントがたくさんありましたね」（本文より～）<BR><BR><BR></p>
<p><span id="more-677"></span><br />
　ここで、指摘されたオフイス・マツナガの連載記事の「<A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/C12" target=_blank><FONT color=#0066cc><STRONG>遠藤顧問の歴史だよ！</STRONG></FONT></A><STRONG>　</STRONG>」の記事だが、このエントリーをさしていた。<BR><BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/80576"><FONT color=#0066cc>時代を超えて連続するもの・・・「職」と「役」の体系</FONT></A>　2009年7月12日<BR><BR><BR>　実は、この指摘に啓示をうけた（編集注：ただの思いつきともいう）当方のボスが、またしても、遠藤顧問に無理難題をおしつけた。<BR><BR>「つまりだな、西欧から輸入した『地方分権論』でなくて、日本の固有の、中央と地方の有り様にかんして考えてみたい。<BR>　そこで何度かにわけて、歴史的に検証していただきたい。<BR>　そだな、まずはそもそも、日本の地方自治の原型はなんであったか？<BR>　このあたりを、歴史的に整理していただきたい」（当方ボスの無理難題）<BR><BR>　遠藤顧問は、「いや、地方分権との関係ははっきりいってわからない・・・。ただし、日本の統治の有り様については、<A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/80576"><FONT color=#0066cc>時代を超えて連続するもの・・・「職」と「役」の体系</FONT></A>　2009年7月12日でかいたけれど・・・」とボスの思いつきにとまどっている様子である。<BR><BR>「ま、そのだな・・・・それは、それとして、これはこれとしよう。で、これはそれだから、あれについて書いていただきたい」（当方ボス談）<BR><BR>　しかし、ボスと遠藤顧問の間には不思議なあうんの呼吸というか、「以心伝心」というか、「ま、遠藤さんが大人だから、松永のおもいつきを、かなりフォローする能力がある」（北岡記者談）ということで、第三者がみていたら、とても理解しがたい、当方のボスの原稿依頼が成立したのである。<BR><BR>　それは、<BR><STRONG>「それは、それとして、これはこれとしよう。で、これはそれだから、あれについて書いていただきたい」（当方ボスの原稿依頼）<BR></STRONG>　なのだ・・・・・・・・・。<BR><BR>　では、そこから登場したのが、以下の原稿。<BR>　これは、うちのボスはどうでもいいとして、わかりやく読みやすい原稿です。<BR><BR>　一般的に流布している「地方分権論」に流されるまえに、まず、読んでみてください。<BR><BR>↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓<BR><BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/89415">日本の地方自治の原型</A>　2009年9月16日<BR><BR><BR><BR><BR><BR></p>
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		<title>日本人の祖先（有料記事）</title>
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		<pubDate>Fri, 07 Aug 2009 11:15:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>takashikitaoka</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　人間の歩んだ道を明らかにし、研究していく学問は広い意味からいえば、すべて歴史学である。それは歴史ということばの語源に「過去におこったこと」を指す意味があることとも相（あい）応ずる。しかし、一般に歴史学というのは、文献・ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><BR>　人間の歩んだ道を明らかにし、研究していく学問は広い意味からいえば、すべて歴史学である。それは歴史ということばの語源に「過去におこったこと」を指す意味があることとも相（あい）応ずる。しかし、一般に歴史学というのは、文献・記録の残っている時代のことを、それらの資料によって明らかにしていく学問であると考えられている。これは、歴史ということばには「記録する」という意味があるというところからきている。それぞれに意味のあることである。<BR><BR>・・・・・・・・（中略）・・・・・・・・・・<BR><BR>　今から4万年～3万年前、日本の各地には人が生活していた。また縄文時代は1万年近くも続いた。日本に国家が成立してからの期間をおよそ1,500年と考えれば、先史時代の期間はまさに気の遠くなるような長さであった。<BR><BR>　今回は先史時代研究の現状を取り上げることによって、我々日本人の祖先について考えてみたい・・・・・・・・・・本文より<BR><BR><BR><BR><BR></p>
<p><span id="more-595"></span><br />
<BR><BR><B><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/C12" target=_blank>遠藤顧問の歴史だよ！</A>　<BR>二十三回目　日本人の祖先<BR>by 遠藤顧問</B><BR><BR><BR>小見出し<BR><BR><B>先史時代は長かった<BR><BR>教科書から消えた旧石器時代の「日本人」<BR><BR>人類はいつ日本列島に渡ってきたのか<BR><BR>日本の民族形成モデル<BR><BR>縄文人と弥生人<BR><BR>日本旧石器学会に期待するもの</B><BR><BR><BR><BR>↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓<BR><BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/84120"><FONT color=#0066cc>日本人の祖先</FONT></A>　2009年8月7日（有料記事）<BR><BR></p>
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		<title>時代を超えて連続するもの・・・・遠藤顧問歴史だよ！</title>
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		<pubDate>Sun, 12 Jul 2009 02:59:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>takashikitaoka</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　　現在の歴史教育では、個々の時代の特色を学ぶことに重点が置かれ、時代を超えて連続性を持っていたものは何かを学ぶことが疎（おろそ）かになっているように思える。　これまでみてきたように、中世の「職」の体系は平安時代の荘園制 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><BR>　　現在の歴史教育では、個々の時代の特色を学ぶことに重点が置かれ、時代を超えて連続性を持っていたものは何かを学ぶことが疎（おろそ）かになっているように思える。<BR><BR>　これまでみてきたように、中世の「職」の体系は平安時代の荘園制を否定するものではないし、近世国家の「役」の体系も、「役」が国家のための奉仕であるという性格を持つ点では、それ以前の旧国家の場合と連続していた。さらに、この点はのちの新国家（近代国家）にも連続していることは言うまでもないことであろう。<BR>　また、幕府のトップである征夷大将軍という役職も、古代の律令国家以来のものであった。もちろん実力が最優先されるが、権力者は、古代からの長い歴史を持つ呼称に正統性が付与される、と判断していたのである。<BR><BR>　そして何よりも特筆すべきは、天皇である。<BR><BR>　「16世紀の天皇」でみたように、いつ消滅してもおかしくない状況にあっても、存続しているのである。政治的な実力の有無とは全く無関係に持続しているのである。それは2009年の今もなお・・・。<BR><BR>　歴史教育では、事実を教えなければならない。時代を超えて連続性を持っていたものは何か。やはり、それを学ぶことは、どの国の歴史教育にとっても、とても大切なことなのである・・・・・（本文～より）<BR><BR><BR>↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓<BR><BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/80576">時代を超えて連続するもの・・・「職」と「役」の体系</A>　2009年7月12日<BR><BR><BR></p>
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		<title>「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」</title>
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		<pubDate>Sat, 11 Jul 2009 01:28:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>takashikitaoka</dc:creator>
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		<description><![CDATA[今週発売の「週刊新潮」2009年7月16日号。「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」日本ルネッサンス「拡大版」　　櫻井よしこ 　集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」沖縄戦で [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><P><BR>今週発売の<A href="http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/" target=_blank>「週刊新潮」2009年7月16日号。</A><BR><BR><BR><STRONG>「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」<BR>日本ルネッサンス「拡大版」　　櫻井よしこ</STRONG> <BR><BR><FONT color=#3366ff>　集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」沖縄戦で渡嘉敷島住民に対し日本軍が＜集団自決を命令した＞とされる件は果たして真実か？ 沖縄出身の作家・上原正稔氏や「うらそえ文藝」の星雅彦編集長が長年の取材を通して知った事実と＜沖縄メディア＞の関係について、櫻井よしこ氏が４Ｐでレポート。<BR><BR>　沖縄二紙の捏造体質に対し勇気ある告発をした沖縄在住の作家星雅彦氏と同じくドキュメンタリー作家の上原正稔氏へのインタビューを中心に沖縄の「物言えぬ言論封殺社会」を激しく糾弾している。<BR></FONT><BR><BR>　はおもしろい。<BR><BR>　これは、ボスや辻野記者など古手の記者ならしっているし、経験してきたことなのだけど、マスコミでは「沖縄の集団自決は軍命である」というのは、歴史的な事実にして、真実である。それに対して、異をとなえた原稿は「ボツになる！」という黄金の法則があった。いや、今もある。<BR><BR>「沖縄の集団自決に軍命があったか、否か・・・。は、長い間、マスコミでタブーにされてきた。それは、ややもすると感情論にながれるところがあった。しかし、歴史的にみる場合は、その事実や史実を大事にしなくてはならない。<BR>　これは、ジャーナリズムの仕事だという側面もあるけれど、えてして、ジャーナリズムは、今という同時代性に流されてしまう。この同時代性というのは、曲者で、歴史的な検証をないがしろにしてしまうところがある。いや、時には、無視して、ねつ造するところがある。<BR>　ま、この辺は、インターネットが発達してきて、多くの人が、『実はジャーナリズムは信用出来ない』ということがわかったきた。オレなんかは、『ジャーナリストを信用するな！』といつもいっているのだが・・・。<BR>　本当は、これはゆゆしき出来事であるのだが、多くのマスコミでは、この読者のシビアにして、冷静にして、客観的な視点を無視している嫌いがある。<BR>『小泉劇場』に流されたマスメディア。『政権交代劇場』に流されつつあるマスメディア。これは、ジャーナリズムの視点にたって、少し言い訳すると、同時代性を的確に拾ったモノであるとなるのだが、だいたい、ジャーナリズムにおいての、同時代性という用語自体が、唯物史観の名残だったわけだ。<BR>　ま、オレもその手の名残にかなり侵されているわけで、うちで一番、侵されているのは辻野記者なのだが、そういう意味では、辻野記者は、今のマスメディアに依拠する典型的なジャーナリストなわけだ。<BR>　で、何をいいたいかというと、『ジャーナリズムは信用するな』ということ。<BR>　そして、信用されていないことを、前提にして、記者は取材して、記事を書かなくてはならない。せめても、この自覚をもつことができるどうか・・・今のオレにはそれぐらいしかいえない。<BR><BR>　そこで、歴史学徒としての、訓練をうけてきたうちの遠藤顧問の出番になるわけだ。歴史検証とはなにか・・・・・ま、そういうことをうちでやっているわけです。<BR>　半分は、オレ自身の言い訳でもあり、懺悔でもあるわけだな・・・。<BR>　つまり、同時代性というまやかしの記事を随分書いてきたからな。<BR>　そういうわけです」（当方ボス談）<BR><BR>　うちのボスあたりが、そういうことを「平然と言い出す」ぐらいだから、実は、マスメディアや、ジャーナリズムといわれている世界でも地殻変動がおきつつあるわけです。<BR><BR>　帰国子女である北岡記者などは、もっと過激で・・・・<BR><BR>「今の、マスメディアの不況が、そうした地殻変動の契機になっている。つまり、今の日本の商業ジャーナリストといわれている連中が、全員失業してちょうどよくなる」（北岡記者談）<BR><BR>　さて、同業者のみなさん、ここは、いさぎよく失業しましょう。<BR>　コンビニのアルバイトや、パソコンのデータ打ち込みのアルバイトなら紹介します。<BR><BR>　というわけで、当方の<A href="http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/cat_10011482.html" target=_blank>【遠藤顧問の「歴史」だよ！】</A> というコラムがあるわけです。ま、ネットという表現手段をいただいたから、当サイトの実質的な編集長であるボスがなどが、こうしたコラムを掲載できるようになった・・・という側面があります。<BR>　<BR><BR></P></p>
<p><span id="more-65"></span><br />
<P>　櫻井よしこ さんは、週刊新潮で、<BR><BR><STRONG>「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」<BR><BR>　</STRONG>という記事をかいているけれど、実はうちでは、2年前に、当方のボスが、遠藤顧問に以下の原稿を依頼している。<BR><BR><STRONG>【遠藤顧問の「歴史」だよ！】 <BR></STRONG><A href="http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50453056.html" target=_blank><STRONG>沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定問題　“第二の「教科書誤報事件」にしてはならない” 2007年10月11日</STRONG></A><BR><BR><STRONG>　</STRONG>2年前の記事だけど、実は、このコラムを掲載したときに、同業者からは、<BR>「オフイス・マツナガは右翼に転向したのか？」といわれた。<BR>　今、読むと「右翼」でもなんでもないコラムなのだけど、2年前のマスコミにおける同時代性ではこのコラムは「右翼」とレッテルをはられてしまうのだ。<BR>　つまり、これだけマスコミに同時代性は「インチキだという証拠」（当方ボス談）なわけです。<BR><BR>　そういうことで、2年前の記事を再録させていただきます。<BR><BR>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<BR><BR><STRONG>【遠藤顧問の「歴史」だよ！】 <BR></STRONG><A href="http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50453056.html" target=_blank><STRONG>沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定問題　“第二の「教科書誤報事件」にしてはならない” 2007年10月11日</STRONG></A><BR><BR><BR>文責：遠藤顧問</P><br />
<P><BR>１． 平成19年10月4日の代表質問<BR><BR>　公明党及び野党各党は、来春から使われる高校教科書で、沖縄戦における住民の集団自決に「日本軍の強制があった」とする記述が削除された問題を取り上げ、事実上の記述復活を望む要旨の発言をした。<BR><BR>２． 実際の検定結果の例<BR><BR>（１） 山川出版社・日本史A<BR>　検定前：日本軍によって壕を追い出され、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった。<BR>　検定後：そのなかには日本軍に壕から追い出されたり、自決した住民もいた。<BR>（２） 東京書籍・日本史A<BR>　検定前：日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で「自決」を強いられたものもあった。<BR>　検定後：「集団自決」においこまれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった。<BR>（３） 三省堂・日本史A、日本史B<BR>　検定前：日本軍に「集団自決」を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられて殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた。<BR>　検定後：追いつめられて「集団自決」した人や戦闘の邪魔になるとかスパイ容疑を理由に殺害された人も多く、沖縄戦は悲惨をきわめた。<BR>（４） 清水書院・日本史B<BR>　検定前：なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた。<BR>　検定後：なかには集団自決に追い込まれた人々もいた。<BR><BR>　これらを読めば判るように、検定後の教科書は日本軍の関与を否定するものではない。したがって、今回の検定問題に関して「集団自決について日本軍の関与があったことは否定できない」（公明党太田代表）とか「集団自決は軍が全く関与していないことはありえない」（民主党小沢代表）といった批判はあたらない。<BR><BR>　また、「集団自決が日本軍の強制なしに起こり得なかったことは明らかだ。政府は自らの責任で検定意見の撤回と強制記述を回復すべきだ」（共産党志井委員長）とか「教科書から沖縄戦の真実を歪曲・改竄することは断じて許されない」（社民党照屋寛徳衆院議員）といった批判もあるが、今回の検定は、そもそも「軍が命令または強制して住民に集団自決をさせたことが確定あるいは断定できない」から修正意見が付いたのである。<BR><BR><BR><STRONG>３． 沖縄戦における集団自殺とは<BR><BR>　</STRONG>昭和20年3月、米軍は沖縄本島の西55Kmに位置する慶良間諸島に激しい空襲や艦砲射撃を加えて上陸した。その際、座間味島と渡嘉敷島では数百人の追いつめられた村民が集団自決による凄惨な最期を遂げた。<BR><BR>　驚くべきことには、上記の教科書には、米軍の想像を絶するような攻撃が一般住民をパニックに陥れたことが強調されていない。<BR>　曽野綾子氏は次のように述べている。「米軍は、この島に、非戦闘員が住んでいることを充分知っていた。すでにサイパンで追いつめられた日本人の婦女子がどのような最期を遂げたかも知らないではなかった。それを知りつつ、米軍は山容が変るほど艦砲を撃ち込んだのである。誰が悪いかと言えば、最も残忍なのは米軍であろう。彼らは、日本人の非戦闘員がいるなどということに、何ら道義的なものも感じないでいられたのであろう。」（『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実　日本軍の住民自決命令はなかった！』ワック、310頁）<BR><BR><A href="http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6%E3%83%BB%E6%B8%A1%E5%98%89%E6%95%B7%E5%B3%B6%E3%80%8C%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%87%AA%E6%B1%BA%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%E3%81%AE%E4%BD%8F%E6%B0%91%E8%87%AA%E6%B1%BA%E5%91%BD%E4%BB%A4%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%83%AF%E3%83%83%E3%82%AFBUNKO-%E6%9B%BD%E9%87%8E-%E7%B6%BE%E5%AD%90/dp/4898315453%3FSubscriptionId%3DAKIAIM37F4M6SCT5W23Q%26tag%3Dofficematunag-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4898315453" target=_blank><IMG class=pict alt="沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)" hspace=5 src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51HPWBCRDJL._SL160_.jpg" align=left border=0></A><A href="http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6%E3%83%BB%E6%B8%A1%E5%98%89%E6%95%B7%E5%B3%B6%E3%80%8C%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%87%AA%E6%B1%BA%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%E3%81%AE%E4%BD%8F%E6%B0%91%E8%87%AA%E6%B1%BA%E5%91%BD%E4%BB%A4%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%83%AF%E3%83%83%E3%82%AFBUNKO-%E6%9B%BD%E9%87%8E-%E7%B6%BE%E5%AD%90/dp/4898315453%3FSubscriptionId%3DAKIAIM37F4M6SCT5W23Q%26tag%3Dofficematunag-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4898315453" target=_blank>沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)</A><BR>著者：曽野 綾子<BR>販売元：ワック<BR>発売日：2006-05<BR>おすすめ度：<IMG height=12 alt=3.5 src="http://parts.blog.livedoor.jp/img/usr/cmn/star/3.5.gif" width=64><BR><A title="沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)" href="http://blog.livedoor.com/review/asin/4898315453/" target=_blank>クチコミを見る</A><BR style="CLEAR: left"><BR><BR>　戦争の悲惨さ、残忍さを示したいのなら、教科書の執筆者はこの事実こそ記述しなければならないはずだ。<BR><STRONG><BR>４． 集団自決が軍の命令または強制であったとする最初の文献<BR></STRONG><BR>『沖縄戦記・鉄の暴風』沖縄タイムス、昭和25年8月15日初版<BR><BR><A href="http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6%E8%A8%98-%E9%89%84%E3%81%AE%E6%9A%B4%E9%A2%A8-%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B9%E7%A4%BE/dp/4871270017%3FSubscriptionId%3DAKIAIM37F4M6SCT5W23Q%26tag%3Dofficematunag-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4871270017" target=_blank>沖縄戦記 鉄の暴風</A><BR>販売元：沖縄タイムス社<BR>発売日：1993-08<BR>おすすめ度：<IMG height=12 alt=5.0 src="http://parts.blog.livedoor.jp/img/usr/cmn/star/5.0.gif" width=64><BR><A title="沖縄戦記 鉄の暴風" href="http://blog.livedoor.com/review/asin/4871270017/" target=_blank>クチコミを見る</A><BR style="CLEAR: left"><BR>　沖縄タイムス社は昭和23年創立。上記の本は太田良博記者の取材を中心に纏められた。<BR>　これ以降、他の著作における「集団自決」の主な内容は、この本の記述が整理されたり、書き加えられたりして成立したものが多い。<BR><BR><STRONG>５．『沖縄戦記・鉄の暴風』の信憑性に疑問を呈したもの<BR><BR></STRONG>（１）曽野綾子『ある神話の背景』文藝春秋、昭和48年<BR><BR><A href="http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%82%8B%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%AE%E8%83%8C%E6%99%AF%E2%80%95%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%83%BB%E6%B8%A1%E5%98%89%E6%95%B7%E5%B3%B6%E3%81%AE%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%87%AA%E6%B1%BA-1973%E5%B9%B4-%E6%9B%BD%E9%87%8E-%E7%B6%BE%E5%AD%90/dp/B000J9DM2A%3FSubscriptionId%3DAKIAIM37F4M6SCT5W23Q%26tag%3Dofficematunag-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB000J9DM2A" target=_blank>ある神話の背景―沖縄・渡嘉敷島の集団自決 (1973年)</A><BR>著者：曽野 綾子<BR>販売元：文芸春秋<BR>発売日：1973<BR><A title="ある神話の背景―沖縄・渡嘉敷島の集団自決 (1973年)" href="http://blog.livedoor<br />
.com/review/asin/B000J9DM2A/" target=_blank>クチコミを見る</A><BR style="CLEAR: left"><BR>　これは渡嘉敷島の集団自決に関して書かれたものであるが、<BR><BR>?太田良博氏が取材した主な証言者は当時、現場にいなかったこと、<BR>?隊長の集団自決命令が下された場面を示す記述が太田氏の想像の産物に過ぎなかったこと、<BR>?当時の日本軍現地部隊の「陣中日誌」（ただし、取り纏められて提出されたのは昭和45年8月）や生き残り兵士の証言から「集団自決命令」はついに確認できなかったこと、などが明らかにされた。<BR>　<BR>　なお、この本は2006年5月、ワックから『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実　日本軍の住民自決命令はなかった！』と改題され出版されている。<BR><BR>（２）神戸新聞（昭和60年7月30日付、61年6月6日付、62年4月18日付）及び東京新聞（昭和62年4月23日付）の記事<BR><BR>　これらは座間味島の集団自決に関するものであるが、<BR>?生き残った元女子青年団員が娘に「隊長の自決命令はなかった」と告白したこと、隊長のもとに玉砕のための弾薬をもらいに行ったが帰されてしまったこと、遺族が擁護法に基づく年金を受け取れるように事実と違う証言をしたこと、<BR>?集団自決した助役の弟が「集団自決は兄の命令で行われた。私は遺族補償のため、やむを得ず、隊長命令として（旧厚生省に）申請した」と証言したことなどが報じられた。<BR><BR>◎なお、集団自決を強制したとされた元少佐らは、岩波書店及び大江健三郎氏に対し、平成17年8月に訴訟をおこした（ネットで「沖縄戦集団自決冤罪訴訟」を検索すると、現在までの原告・被告のやり取りが判る）。<BR><BR><STRONG>５． 検定基準<BR><BR></STRONG>「義務教育諸学校教科用図書検定基準」と「高等学校教科用図書検定基準」があり、どちらもその中の〔地理歴史科（「地図」を除く）〕２．選択・扱い及び組織・分量の項目に次の一条がある。<BR><BR>　未確定な時事的事項について断定的に記述しているところはないこと<BR><BR>　今回の検定における修正意見は、高等学校の教科書に対してのみ付せられたのであって、小学校・中学校の教科書は修正されていないのが事実である。<BR><BR><STRONG>６． 第二の「教科書誤報事件」にしないためには<BR><BR></STRONG>　今回の検定結果は、集団自決に関する研究の現状を鑑みれば、当然の結果である。現状では、住民に対する集団自決命令があったことは確定できていないのである。したがって、教科書に「日本軍に集団自決を強制された」というような断定的表現を使用してはならないのである。<BR><BR>　昭和57年に起こった「教科書誤報事件」では、『日本軍が華北に「侵略」』という教科書の記述が検定によって『日本軍が華北に「進出」』と書き換えさせられた、と多くのマスコミが報じて大問題となった（日本テレビのマヌケな記者の報告が原因のようだが、それをろくな調査もせず、各社が一斉に報道してしまったらしい）。<BR>　当然、すぐ後の調査で、そのような書き換えの事実はなかったことが判明したが、それにもかかわらず、韓国やシナの誤報を受けての抗議に日本政府は謝罪し、挙句の果てに、自国の教科書検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という理解不能の一文を追加してしまったのである。<BR><BR>　今回の「集団自決」に関する検定も、「命令があった」とか「強制された」といった断定的表現は削除すべしというものであって、公明党代表や民主党代表が言うような「日本軍の関与がまったくなかった」ことにするとか、ましてや「集団自決そのものの記述を削除せよ」というものでは決してない。<BR>　ところが、マスコミの報道の中には、本件に対する国民の理解不足につけこんで、『教科書検定によって、「集団自決」そのものが削除された』ように受け取れる報道も出ている。<BR><BR>　先月29日に沖縄県宣野湾市で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」においても、参加者の中には事実を見極めず（あるいは事実を知らず）、「集団自決に軍の関与がなかったはずはない」とか「沖縄で集団自決があった事実を検定で削除されてたまるか」という気持ちで集まった一般の人も多かったのではないか。<BR>　当日の県民大会の参加者が「戦争のための教育を許すな！」と書かれたプラカードを持っている写真を見たが、今回の検定のどこが「戦争のための教育」を推進しているというのか？全く理解に苦しむ。<BR><BR>　繰り返すが、今回の検定は、「未確定な時事的事項について断定的に記述しているところはないこと」という規定に沿って修正意見が出されたに過ぎない。<BR>　この当然の対応が何故今までなされてこなかったのか？今までの教科書検定官は真面目に職務を遂行していたのか？教育という国民的問題の重要性から考えて、むしろ、この点のほうが大問題であり、国会や県民大会で追及されるべき問題であろう。<BR><BR>　10月4日の衆参代表質問の中には、<BR>「9月29日に党派を超えて抗議するために集まった11万人（実際は4万人前後という）に上る沖縄県民の心を首相はどう受け止めているのか」（民主党輿石参議院会長）とか<BR>『歴史の歪曲が二度と起こらないように、「従軍」慰安婦における「河野談話」と同じく、「総理談話」を行う考えはないか』（国民新党・そうぞう・無所属の会　下地幹郎衆院議員）といった発言もあった。<BR><BR>　先の「教科書誤報事件」を思い出してほしい。あるいは知らない人は、よく調べて欲しい。<BR>「侵略」という表現が「進出」に書き換えられた事実はなかったのに、これはマスコミの誤報であったのに、謂れなき非難・批判が世にまかり通るようになると、いつのまにか教科書検定に「近隣諸国条項」なるものが加えられ、結果的に日本の教科書の記述は外国に対する意味不明の「必要な配慮」に縛られることになったのである。<BR><BR>　問題をすりかえてはならない。また、すりかえる者たちの口車に乗ってはならない。<BR><BR>　今回の検定問題も、教科書では「未確定な時事的事項については断定的に記述しない」という当たり前の原則が貫かれただけなのに、「集団自決は軍が全く関与していないことはありえない」とか「教科書から沖縄戦の真実を歪曲・改竄することは断じて許されない」とか「戦争のための教育を許すな！」といった謂れなき非難・批判が横行しつつある。<BR>　これらの謂れなき非難・批判が世にまかり通るようになると、また、いつのまにか、教科書検定に新たな規制事項が加えられるかもしれない。<BR><BR>　最後に松本藤一弁護士が指摘されている沖縄における歴史的事実を一つ加えておきたい（『正論』2005年9月号）。<BR>　<BR>　座間</p>
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		<title>「政府へ尋問の筋（すじ）これ有り」（西郷隆盛）とは・・・・・・・・</title>
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		<pubDate>Tue, 16 Jun 2009 00:17:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>takashikitaoka</dc:creator>
				<category><![CDATA[【遠藤顧問の「歴史」だよ！】]]></category>

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		<description><![CDATA[　鳩山邦夫総務相が日本郵政の社長人事問題で、辞表を提出した。　ここで、「政府へ尋問の筋（すじ）これ有り」という西郷隆盛の言を引用した。
関連記事：鳩山邦夫総務相　「未熟な政治判断」 　2009年06月12日　　　　　　  [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><P><BR>　鳩山邦夫総務相が日本郵政の社長人事問題で、辞表を提出した。<BR>　ここで、<BR>「政府へ尋問の筋（すじ）これ有り」という西郷隆盛の言を引用した。<BR></P><br />
<P>関連記事：<A title=鳩山邦夫総務相　「未熟な政治判断」 href="http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50814204.html"><FONT color=#0000ff>鳩山邦夫総務相　「未熟な政治判断」</FONT></A> 　2009年06月12日<BR>　　　　　　 <A title=鳩山新党　「わかってください」　鳩山五人衆 href="http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50814367.html">鳩山新党　「わかってください」　鳩山五人衆</A>&nbsp; 2009年06月13日</P><br />
<P><BR><BR>　いわゆる「西南戦争」とよばれる西郷らの挙兵にあたり、彼らが発した文書である。<BR><BR>　原文は以下。<BR><BR>「<STRONG>拙者どもこと、先般御暇の上、非役にて帰県致し居候処、今般“政府へ尋問の筋これ有り”、不日に当地発程致候間、お含みのため此段届け出候、もっとも旧兵隊の者ども随行し、多人数出立致候間、人民動揺致さざるよう、一層御保護御依頼に及び候也</STRONG>」<BR>（「お暇を頂いて帰省していましたが、このたび、政府へ尋問したいことがありますので上京します。大人数となりますが、人民が動揺しないようお気をつけ下さい」）<BR><BR>　では、この時の、「政府への尋問の筋」とは、何であったのか？<BR><BR>　当方の遠藤顧問が緊急寄稿です。<BR></P></p>
<p><span id="more-130"></span><br />
<A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/C12" target=_blank><FONT color=#0066cc><STRONG>遠藤顧問の歴史だよ！　</STRONG></FONT></A><STRONG>　<BR>特別版二十一回目　西郷隆盛について<BR>by 遠藤顧問</STRONG><BR><BR>　<BR>・・・・・・・・・それでは、「政府へ尋問の筋」とは何であったのか。<BR><BR>　それは鹿児島で捕縛された警視庁の（少）警部、中原尚雄が自白した「西郷暗殺計画」であった。当時、大警視の川路利良（大久保利通の腹心と見られた）は、鹿児島県出身の警部・巡査である中原ら二十余名を“休暇帰省”と称して鹿児島に潜入させていた。彼らは、政府が警戒していた西郷ら私学校幹部や私学校生徒の動向を偵察すると同時に、西郷一派の分断工作を試みようとしていた。<BR>　ある時、中原は知人に「西郷を“しさつ”するために戻ってきた」と話した（他に、「自分は刺し違えても西郷を止める」と言ったという説もある。なお山縣有朋によれば、“しさつ”は“視察”であって、それが“刺殺”に間違えられたという）。これが「政府による西郷暗殺の陰謀」の証拠と判断されて、中原は私学校生徒らに捕縛された。そして、激しい尋問（拷問？）の末、彼は「西郷暗殺計画」があったことを自白したのである・・・・・・・・・・（本文より～）<BR><BR><BR>　西郷隆盛を尊敬し、愛読する鳩山邦夫氏がこの歴史的な由来をしらぬはずはない。では、西郷に対して、「西郷暗殺計画」があったとするなら、鳩山に対して「郵政・鳩山暗殺計画」（当方ボスが命名）があったのであろうか？<BR><BR>「ま、暗殺計画というと大げさだが、それに似たようなことがあったのだろう。それを鳩山は思いとどまり、話していない。オレも、今は、話すべきでないとは思う。<BR>　当時の西郷隆盛は、正三位、現職の陸軍大将であった。もし、彼を暗殺する計画が政府内に存在したとなれば、これは上京して政府に問責すべきである。これは当然のことだろう。ま、ここは邪推をしてもはじまらない。そのうち明らかになるだろう。ここは、ひとつ西郷隆盛について、もう一度、歴史をひもといてみたい」（当方ボス談）<BR><BR>　ということで、特別版として遠藤顧問の緊急寄稿です。<BR><BR>↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓<BR><BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/78144"><FONT color=#0066cc>特別版二十一回目　西郷隆盛について</FONT></A>　2009年6月16日<BR><BR><BR><br />
<P align=center><A href="http://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=1HY056+4EDBOY+1V7G+5ZEMP" target=_blank><IMG height=60 alt="" src="http://www22.a8.net/svt/bgt?aid=090606138266&amp;wid=001&amp;eno=01&amp;mid=s00000008710001005000&amp;mc=1" width=468 border=0></A></P><br />
<P><IMG height=1 alt="" src="http://www14.a8.net/0.gif?a8mat=1HY056+4EDBOY+1V7G+5ZEMP" width=1 border=0> <BR></P></p>
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		<title>「開港」にまつわる歴史（開港150周年を迎えて）</title>
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		<pubDate>Tue, 09 Jun 2009 02:06:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>takashikitaoka</dc:creator>
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		<description><![CDATA[遠藤顧問の歴史だよ！　　二十回目　「開港」にまつわる歴史（開港150周年を迎えて）by 遠藤顧問小見出し三者三様の150周年開港場とは開市場とは開港「六都市」不平等条約長崎の外国人居留地函館の外国人居留地横浜の外国人居留 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><BR><BR><B><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/C12" target=_blank><FONT color=#0066cc>遠藤顧問の歴史だよ！　</FONT></A>　<BR>二十回目　「開港」にまつわる歴史（開港150周年を迎えて）<BR>by 遠藤顧問</B><BR><BR><BR>小見出し<BR><BR><B>三者三様の150周年<BR><BR>開港場とは<BR><BR>開市場とは<BR><BR>開港「六都市」<BR><BR>不平等条約<BR><BR>長崎の外国人居留地<BR><BR>函館の外国人居留地<BR><BR>横浜の外国人居留地<BR><BR>新潟・東京の外国人居留地<BR><BR>神戸・大阪の外国人居留地<BR></B><BR><BR><BR>↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓<BR><BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/77598"><FONT color=#0066cc>二十回目　「開港」にまつわる歴史（開港150周年を迎えて）</FONT></A>&nbsp;2009年6月9日<BR><BR><BR><BR></p>
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		<title>明治維新の謎</title>
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		<pubDate>Sun, 24 May 2009 10:02:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>takashikitaoka</dc:creator>
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		<description><![CDATA[&#160;遠藤顧問の歴史だよ！　　十九回目　明治維新の謎 by 遠藤顧問小見出し誰もが明治維新を知っている？武士の身分的自殺「階級闘争」モデルでは説明できない明治維新「体系的な説明」は、まだ行われていない明治維新に関す [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><P><TR><TD class=center_flame01-txt></TD>&nbsp;</TR><TR><TD class=center_flame01-txt><BR><B><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/C12" target=_blank>遠藤顧問の歴史だよ！</A>　　<BR>十九回目　明治維新の謎 <BR>by 遠藤顧問</B><BR><BR><BR>小見出し<BR><BR><B>誰もが明治維新を知っている？<BR><BR>武士の身分的自殺<BR><BR>「階級闘争」モデルでは説明できない明治維新<BR><BR>「体系的な説明」は、まだ行われていない<BR><BR>明治維新に関する司馬史観<BR><BR>誰も明治維新を説明できない？</B><BR><BR><BR><BR>↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓<BR><BR>・・・・・・・・・・・・・・<BR>　旧体制を破壊した明治維新の主体は、あくまでも武士であり、武士出身の政治指導者が“武士の身分と世禄の剥奪”という急進的変革を実行した。この史実は、西洋やシナの近代革命を考える際に、しばしば参照される「階級闘争」モデルとはずいぶん食い違っている。<BR><BR>「革命」を考える場合、我々は、不満を持った下層身分が上級身分に挑戦し、その特権を解体しようとするものと考えがちである。戦後の日本の歴史学者たちもその例に漏れず、幕末日本に「下からの変革要求と反乱」の痕跡を探し求めたが、失敗してしまった。我々はなお、従来の支配身分がなぜ、あっという間に自らを解体してしまったのかという謎の前にたたずんでいるのである。<BR><BR>　この謎は単に「階級革命モデルに適合しない」という問題にとどまらない。これはそもそも“人間性”に反している。一体どこのエリートが自ら進んでその特権を放棄しようとするだろうか。<BR><BR>　シナや朝鮮のエリートは、同様の国際環境にあっても、自らの理想を堅持し、それと不可分であった社会的特権にも疑いを抱かなかった。<BR><BR>　もちろん、当初は日本の武士も、自らの統治身分としての役割を疑っていなかった。幕末10年間の政治的混乱の時代にあっても、武士がその身分を廃止しようと主張することはなかったのである。しかし王政復古後、わずか10年で、彼らにとっては“自殺”とも言える行為を抵抗なく受け入れたのである。彼らは、なぜ、そうしたのか？・・・・・・・・・（本文より）<BR><BR><BR>↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓<BR><BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/76172">明治維新の謎&nbsp;</A>&nbsp;2009年5月24日</P><br />
<P><BR><BR><BR><BR><BR></TD></TR><TR><TD><IMG height=5 src="http://kuruten.jp/blog/images/common/spacer.gif" width=1></P></TD></TR></p>
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		<title>日本の開国事情</title>
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		<pubDate>Sat, 09 May 2009 23:42:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>takashikitaoka</dc:creator>
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		<description><![CDATA[遠藤顧問の歴史だよ！　　十八回目　日本の開国事情by 遠藤顧問　・・・・・・・・・・・黒船来航と日本開国については、今まで、「無能な幕府が、強大なアメリカの軍事力に屈し、極端な不平等条約を結ばされた」　という解釈が一般的 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><BR><BR><B><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/C12" target=_blank>遠藤顧問の歴史だよ！</A>　　<BR>十八回目　日本の開国事情<BR>by 遠藤顧問</B><BR><BR><BR><BR>　・・・・・・・・・・・黒船来航と日本開国については、今まで、<BR>「無能な幕府が、強大なアメリカの軍事力に屈し、極端な不平等条約を結ばされた」<BR>　という解釈が一般的であった。<BR>　しかし近年は、優れた諸研究によって、<BR>「幕府の（事前の調査能力を含む）交渉能力は高いものであり、アメリカも軍事力を誇示したが、実際には“平和的交渉”が基本方針となっていた。日米双方の当事者による外交努力は、不平等性の最も少ない“和親条約”を締結させるに至った」<BR>　と解釈されるようになってきたのである。・・・・・・・・・<BR><BR>・・・・・・・・・・・・19世紀という「弱肉強食」の原理が支配する時代では、アフリカ・アジアの多くの国々が西洋の植民地にされた。あるいは、西洋との戦争に敗れた結果、領土の割譲や莫大な賠償金の支払いを余儀なくされた。<BR>　植民地から脱するのに約200年かかったケースは、決して珍しいものではない。また、敗戦によって不平等条約を結ばされたシナの場合は、その地位を脱するのに約100年かかっている。しかし日本の場合は、不平等条約を結んでも、それは「敗戦」によるものではなく「交渉」によるものであった。他と比べて、不平等性は著しく少なかったのである。<BR>　そして日本は、約40年で西洋諸国と同等（平等）の地位に達しえたのである・・・・・・・・<BR><BR>（以上本文より）<BR><BR><BR><BR>↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓<BR><BR><BR>小見出し<BR><BR><BR><B>日本の開国事情<BR><BR>七ヵ月半をかけてやってきた世界最大の黒船 <BR><BR>米英が得ていた日本情報<BR><BR>日本が得ていた海外情報と幕府の対外政策<BR><BR>前代未聞の「意見公募」<BR><BR>見直すべき「条約」の効用</B><BR><BR>↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓　　↓<BR><BR><A href="http://blog.kuruten.jp/newssource/74473"><FONT color=#0066cc>日本の開国事情</FONT></A>&nbsp;2009年5月10日<BR><BR><BR><BR><BR></p>
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