遠藤顧問の歴史だよ!
第二十六回目 “創作”から“史実”へ
by 遠藤顧問
小見出し
歴史認識の大きなギャップ
信長の伝記
小瀬甫庵(おぜ ほあん)という小説家
参謀本部の古戦史研究
『信長公記』が描く桶狭間の戦い
残念なこと、悔やまれること
・・・・・・・・・概要・・・・・・・・・・
遠藤顧問の歴史だよ!
第二十六回目 “創作”から“史実”へ
by 遠藤顧問
小見出し
歴史認識の大きなギャップ
信長の伝記
小瀬甫庵(おぜ ほあん)という小説家
参謀本部の古戦史研究
『信長公記』が描く桶狭間の戦い
残念なこと、悔やまれること
・・・・・・・・・概要・・・・・・・・・・
「地方分権の歴史を書け」とマツナガから言われた時、それはすでに書いた『時代を超 えて連続するもの・・・「職」と「役」の体系』や『明治維新の謎』や『日本における民主主義について』などで部分的に言及しているので、それを見てくれ、と私は言った。
しかし、彼は「それは、それとして、これはこれとしよう。で、これはそれだから、あれについて・・・。
とにかく、書いてよ」と言う始末であった。
読者限定の記事で申し訳ないのだが、あちこちに波紋を投げかけたのが、
■現役事務次官激白・・・鳩山政権は短命の運命 2009年9月9日
というエントリー。
ここで地方自治にふれてこういっている。
「今、いわれている地方分権、地域主権への道は遠いというか、実現しませんね。
地方分権について、議論している地方自体体の首長さんの会合に何度か出席したことがありますが、3人の首長さんがいればみな別々のことをいっています。
それは、当然で、国のグランドデザインとしての地方分権でなくて、自分の地域を優先させた地方分権論なわけです。これはその場でいえませんでしたが、国家のグランドデザインとしての地方分権という視点にたって論理を構築したり、議論している人は一人もいません。
また、地方分権の論理の前提には自治権があるということです。
つまり、他(注:「多」の間違い)民族で構成される国家は、その統治のシステムとして、自治権をあたえた。また、少数民族は自治権を主張した。これは血なまぐさい紛争の歴史から誕生したものです。
これが地方分権の下敷きにあります。
つまり、国家の統治のありようの問題なのです。
この辺の視点が欠落している。
であれば、日本で論じるべき、もしくは導入すべきは、欧米から移植した「地方分権論」でない。
日本流の「役割分担論」なわけです。
これは、退官したら、ぜひ研究したいテーマですね。
そういえば、オフイス・マツナガの連載記事に「遠藤顧問の歴史だよ!」というのがあって、そこにこのヒントがたくさんありましたね」(本文より~)
人間の歩んだ道を明らかにし、研究していく学問は広い意味からいえば、すべて歴史学である。それは歴史ということばの語源に「過去におこったこと」を指す意味があることとも相(あい)応ずる。しかし、一般に歴史学というのは、文献・記録の残っている時代のことを、それらの資料によって明らかにしていく学問であると考えられている。これは、歴史ということばには「記録する」という意味があるというところからきている。それぞれに意味のあることである。
・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・
今から4万年~3万年前、日本の各地には人が生活していた。また縄文時代は1万年近くも続いた。日本に国家が成立してからの期間をおよそ1,500年と考えれば、先史時代の期間はまさに気の遠くなるような長さであった。
今回は先史時代研究の現状を取り上げることによって、我々日本人の祖先について考えてみたい・・・・・・・・・・本文より
現在の歴史教育では、個々の時代の特色を学ぶことに重点が置かれ、時代を超えて連続性を持っていたものは何かを学ぶことが疎(おろそ)かになっているように思える。
これまでみてきたように、中世の「職」の体系は平安時代の荘園制を否定するものではないし、近世国家の「役」の体系も、「役」が国家のための奉仕であるという性格を持つ点では、それ以前の旧国家の場合と連続していた。さらに、この点はのちの新国家(近代国家)にも連続していることは言うまでもないことであろう。
また、幕府のトップである征夷大将軍という役職も、古代の律令国家以来のものであった。もちろん実力が最優先されるが、権力者は、古代からの長い歴史を持つ呼称に正統性が付与される、と判断していたのである。
そして何よりも特筆すべきは、天皇である。
「16世紀の天皇」でみたように、いつ消滅してもおかしくない状況にあっても、存続しているのである。政治的な実力の有無とは全く無関係に持続しているのである。それは2009年の今もなお・・・。
歴史教育では、事実を教えなければならない。時代を超えて連続性を持っていたものは何か。やはり、それを学ぶことは、どの国の歴史教育にとっても、とても大切なことなのである・・・・・(本文~より)
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時代を超えて連続するもの・・・「職」と「役」の体系 2009年7月12日
今週発売の「週刊新潮」2009年7月16日号。
「集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」
日本ルネッサンス「拡大版」 櫻井よしこ
集団自決に軍命はなかった」と口に出せない沖縄「言論封鎖社会」沖縄戦で渡嘉敷島住民に対し日本軍が<集団自決を命令した>とされる件は果たして真実か? 沖縄出身の作家・上原正稔氏や「うらそえ文藝」の星雅彦編集長が長年の取材を通して知った事実と<沖縄メディア>の関係について、櫻井よしこ氏が4Pでレポート。
沖縄二紙の捏造体質に対し勇気ある告発をした沖縄在住の作家星雅彦氏と同じくドキュメンタリー作家の上原正稔氏へのインタビューを中心に沖縄の「物言えぬ言論封殺社会」を激しく糾弾している。
はおもしろい。
これは、ボスや辻野記者など古手の記者ならしっているし、経験してきたことなのだけど、マスコミでは「沖縄の集団自決は軍命である」というのは、歴史的な事実にして、真実である。それに対して、異をとなえた原稿は「ボツになる!」という黄金の法則があった。いや、今もある。
「沖縄の集団自決に軍命があったか、否か・・・。は、長い間、マスコミでタブーにされてきた。それは、ややもすると感情論にながれるところがあった。しかし、歴史的にみる場合は、その事実や史実を大事にしなくてはならない。
これは、ジャーナリズムの仕事だという側面もあるけれど、えてして、ジャーナリズムは、今という同時代性に流されてしまう。この同時代性というのは、曲者で、歴史的な検証をないがしろにしてしまうところがある。いや、時には、無視して、ねつ造するところがある。
ま、この辺は、インターネットが発達してきて、多くの人が、『実はジャーナリズムは信用出来ない』ということがわかったきた。オレなんかは、『ジャーナリストを信用するな!』といつもいっているのだが・・・。
本当は、これはゆゆしき出来事であるのだが、多くのマスコミでは、この読者のシビアにして、冷静にして、客観的な視点を無視している嫌いがある。
『小泉劇場』に流されたマスメディア。『政権交代劇場』に流されつつあるマスメディア。これは、ジャーナリズムの視点にたって、少し言い訳すると、同時代性を的確に拾ったモノであるとなるのだが、だいたい、ジャーナリズムにおいての、同時代性という用語自体が、唯物史観の名残だったわけだ。
ま、オレもその手の名残にかなり侵されているわけで、うちで一番、侵されているのは辻野記者なのだが、そういう意味では、辻野記者は、今のマスメディアに依拠する典型的なジャーナリストなわけだ。
で、何をいいたいかというと、『ジャーナリズムは信用するな』ということ。
そして、信用されていないことを、前提にして、記者は取材して、記事を書かなくてはならない。せめても、この自覚をもつことができるどうか・・・今のオレにはそれぐらいしかいえない。
そこで、歴史学徒としての、訓練をうけてきたうちの遠藤顧問の出番になるわけだ。歴史検証とはなにか・・・・・ま、そういうことをうちでやっているわけです。
半分は、オレ自身の言い訳でもあり、懺悔でもあるわけだな・・・。
つまり、同時代性というまやかしの記事を随分書いてきたからな。
そういうわけです」(当方ボス談)
うちのボスあたりが、そういうことを「平然と言い出す」ぐらいだから、実は、マスメディアや、ジャーナリズムといわれている世界でも地殻変動がおきつつあるわけです。
帰国子女である北岡記者などは、もっと過激で・・・・
「今の、マスメディアの不況が、そうした地殻変動の契機になっている。つまり、今の日本の商業ジャーナリストといわれている連中が、全員失業してちょうどよくなる」(北岡記者談)
さて、同業者のみなさん、ここは、いさぎよく失業しましょう。
コンビニのアルバイトや、パソコンのデータ打ち込みのアルバイトなら紹介します。
というわけで、当方の【遠藤顧問の「歴史」だよ!】 というコラムがあるわけです。ま、ネットという表現手段をいただいたから、当サイトの実質的な編集長であるボスがなどが、こうしたコラムを掲載できるようになった・・・という側面があります。
鳩山邦夫総務相が日本郵政の社長人事問題で、辞表を提出した。
ここで、
「政府へ尋問の筋(すじ)これ有り」という西郷隆盛の言を引用した。
関連記事:鳩山邦夫総務相 「未熟な政治判断」 2009年06月12日
鳩山新党 「わかってください」 鳩山五人衆 2009年06月13日
いわゆる「西南戦争」とよばれる西郷らの挙兵にあたり、彼らが発した文書である。
原文は以下。
「拙者どもこと、先般御暇の上、非役にて帰県致し居候処、今般“政府へ尋問の筋これ有り”、不日に当地発程致候間、お含みのため此段届け出候、もっとも旧兵隊の者ども随行し、多人数出立致候間、人民動揺致さざるよう、一層御保護御依頼に及び候也」
(「お暇を頂いて帰省していましたが、このたび、政府へ尋問したいことがありますので上京します。大人数となりますが、人民が動揺しないようお気をつけ下さい」)
では、この時の、「政府への尋問の筋」とは、何であったのか?
当方の遠藤顧問が緊急寄稿です。
遠藤顧問の歴史だよ!
二十回目 「開港」にまつわる歴史(開港150周年を迎えて)
by 遠藤顧問
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三者三様の150周年
開港場とは
開市場とは
開港「六都市」
不平等条約
長崎の外国人居留地
函館の外国人居留地
横浜の外国人居留地
新潟・東京の外国人居留地
神戸・大阪の外国人居留地
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二十回目 「開港」にまつわる歴史(開港150周年を迎えて) 2009年6月9日
遠藤顧問の歴史だよ!
十八回目 日本の開国事情
by 遠藤顧問
・・・・・・・・・・・黒船来航と日本開国については、今まで、
「無能な幕府が、強大なアメリカの軍事力に屈し、極端な不平等条約を結ばされた」
という解釈が一般的であった。
しかし近年は、優れた諸研究によって、
「幕府の(事前の調査能力を含む)交渉能力は高いものであり、アメリカも軍事力を誇示したが、実際には“平和的交渉”が基本方針となっていた。日米双方の当事者による外交努力は、不平等性の最も少ない“和親条約”を締結させるに至った」
と解釈されるようになってきたのである。・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・19世紀という「弱肉強食」の原理が支配する時代では、アフリカ・アジアの多くの国々が西洋の植民地にされた。あるいは、西洋との戦争に敗れた結果、領土の割譲や莫大な賠償金の支払いを余儀なくされた。
植民地から脱するのに約200年かかったケースは、決して珍しいものではない。また、敗戦によって不平等条約を結ばされたシナの場合は、その地位を脱するのに約100年かかっている。しかし日本の場合は、不平等条約を結んでも、それは「敗戦」によるものではなく「交渉」によるものであった。他と比べて、不平等性は著しく少なかったのである。
そして日本は、約40年で西洋諸国と同等(平等)の地位に達しえたのである・・・・・・・・
(以上本文より)
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日本の開国事情
七ヵ月半をかけてやってきた世界最大の黒船
米英が得ていた日本情報
日本が得ていた海外情報と幕府の対外政策
前代未聞の「意見公募」
見直すべき「条約」の効用
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日本の開国事情 2009年5月10日