両論併記 「村山談話 河野談話 田母神論文 ボス談話(おまけ・笑)」・・・全文


 マスコミの得意の手法として、両論併記というのを教えられる。
 もし、憲法に関して記事を書くなら、改憲派の意見をのせて、次に、護憲派の意見をのせる。「この人は、こういっていますが、別の識者はこうもいっています」と書く。そして、だいたい最後に、「今後の議論をまちたい」とか、ま、あたりさわりのない結びにもってくる。ま、ずるい手法といえば、ずるい手法だが、まだ、両論併記しているからましだろう。

 しかし、マスコミにも媒体によって、論調というのがある。
 改憲を支持しているのなら、両論併記をしながら、改憲派の意見のスペースが護憲派よりおおいとか、その逆もある。
 そこには、さまざまなレトリックや、表現手法があって、客観性を装いながら、改憲なら改憲、護憲なら護憲にその論調の方向で結んでいくのだが、これも、まだ両論併記しているから、まだ、ましだろう。

 そういえば、NHKの人気の大河ドラマ「篤姫」で、天璋院篤姫の名言として「一方を聞いて沙汰するな」というのがある。公平、公明にして、相互の意見を十分に聞き、その上で判断する・・・・・もしくは、判断してもらう・・・・・。という、あたりまえの表現の手法についてふれている。

「一方を聞いて沙汰するな」というのは、実は、日常の生活のなかで、各人がそれぞれの判断の基準としておこなっていることかもしれない。

 両論併記、もしくは、反対意見や、反証を十分に聞く。もしくは、反証の機会をあたえる・・・・というのが、最低限のルール。この最低限のルールにもとずいて、言論の自由や、表現の自由がつちかわれてきたはずだ。

 しかし、この「両論併記」が、タブーのごとく扱われる事態がある。
 まぎれもなく、今の日本にある。
 突然、この問題になると、エキセントリックになる。双方にだ。
 マスコミの事情はわかる。それがこれまでのマスコミの暗黙のルールだったからだ。マスコミの「錦の御旗」だ。つまり、「錦の御旗」がある限りにおいて、マスコミは実は、本来のマスコミの機能を失っている。片肺飛行みたいものだ。
 片肺飛行でも、飛行機は飛ぶことができる。操縦できる。
 しかし、パイロットに高度な技術が要求される。

「この高度な技術を持った人を・・・・ジャーナリストといったかもしれない。戦後から今の日本では・・・・」(ボス談)

 つまり、この件に関しては、「一方を聞いて沙汰」しなくてはならない。この件に関しては、政府見解のみが、錦の旗になる。政府見解とは、あくまでもその時の政府の見解であって、それを自由に批判、反論することができるというのが、少なくても民主主義の原則である。当然、時代がかわり、世論の動向によって、その政府見解が時代にふさわしくないと判断されることもある。変更されることもある。

 言論の基本である、両論併記をもう一度、試みてみる。
 まずは、以下の動画から、入りたい。
 

日本がアジアに残した功績の真実





 このテキストは日本がアジアに残した功績に掲載されています。





「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
平成7年8月15日

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。


 



慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。 

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送についは、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。


 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。


 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。




日本は侵略国家であったのか
田母神俊雄



 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後輩には金(キン)錫源(ソグォン)大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。

 李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥(フ)傑(ケツ
)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥社)」。また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

 ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

 さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

 一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばか

コメント / トラックバック11件

  1. 通りすがり より:

    「そんなことより、むしろ変わらないのは、
    長い間皆さんの支持によって作られた、この番組のありようであります。
     それを私たちは、NEWS23のDNAと呼んできました。
     力の強いもの、大きな権力に対する監視の役を果たそうとすること、
     それから、とかく一つの方向に流れやすいこの国の中で、
    ま、この傾向はテレビの影響も大きいんですけれども、
     少数派であることを恐れないこと、
    多様な意見や立場をなるだけ登場させることで、この社会に自由の気風を保つこと、
     そういうことが含まれております。
     それを実際に、全てまっとう出来たとは言いません。
     しかし、そういう意志を持つ番組であろうとは努めてまいりました。」
    (最後の番組での多事争論「変わらぬもの」2008年3月28日(金)
    http://www.tbs.co.jp/news23/old/index-j.html)
    筑紫さんは、今でも2チャンネルなどで、徹底的にバッシングを浴びています。
    彼らが言うようなこと(例えば部落関係者の犯罪を隠蔽したなど)が本当であれば、とんでもないことです。
    しかし、私にはその事が事実かどうかは判定することが出来ません。
    ただ、それらのバッシングや反論を、筑紫氏自身が包括することが出来なかったとすれば、
    「多様な意見や立場をなるだけ登場させること」
    を彼自身が裏切ってしまったことになります。
    筑紫さんは、あの柔和な表情で、今のバッシングや反論を受け入れていたのでしょうか?
    もしそうであれば、
    「この社会に自由の気風を保つこと」
    を体現したのだとは思います。
    私は、その事に激しく同意します。 ご冥福をお祈りします。 合掌。

  2. miruko より:

    『片肺飛行の技術をみにつけろ。でなければ、ジャーナリズムの幻想をすてろ』
    なんとなく喉の奥に引っかかっていたものが
    取れたような気がします。

  3. その筋さん より:

    一言でいえば保守(右翼と言っている人はそう言って良い)は
    寛容であった。我慢強いのです。それは本質を知り、真実は明らかになれば、しょせん雑音は消えると思っていた。
    しかし今回の田母神評論は逆で一部保守寄りというメディアも与党でさえネオファシズムになってしまった。つまりその原因は村山談話の元となるGHQによる占領政策で始まった情報統制と戦勝国による西洋人から見た民主主義の押しつけなのである。だからこそ今回の騒動で保守層は切れてしまった。
    反省すべき事は権力を叩けば良い、自虐史観が正しいではなく日本人として日本国政府として責任ある立場を示し正しい義務と愛国心を表す事で信用される。それを保守層は常に発言していた。 私はもし今回田母神さんが参考人招致をしなかった事になれば日本で自由と民主主義は終わったと断言する。
    つまり、日本は中国やロシア、北朝鮮の様にやくざ国家の一員になり、それに加担している奴は売国奴なのである。
    意味がわかりますか?
    左派寄りの知識人達さん? 
    言論の自由を叫ぶ筋合いはないです。間違っています!!

  4. 違和感はない より:

     両論併記。
     村山談話と、田母神論文。両方を一緒によむことが出来た。 両方とも違和感はない。
     両方とも正しい。これが、日本人の率直な実感でないか?
     であれば、田母神論文を鬼っ子のようにあつかう、今の政治、マスコミは、片肺飛行というのは納得できます。
     筑紫さんが、反権力をつらぬいた。
     しかし、戦後処理にはふみこめなかった。
     ここの、ボスの指摘通りです。
     筑紫さんを知る者として、あとの仕事は、我々の仕事だとおもいます。
     よく、書いてくれました。

  5. 後輩ジャーナリスト より:

     反権力といえば、筑紫さんや、ここのボスでないけれど、常に権力の有り様や、やったことをチェックする機能がジャーナリズムの一つの役割です。
     村山談話や、河野談話について、その談話の内容をチェックするのも、ジャーナリズムの仕事のはず。しかし、なぜか、この部分だけは、フリーチェックです。なるほど、片肺飛行とはこういうことをいうのですね。
     歪なジャーナリズムは、日教組なみかそれ以上かもしれません。やはり、まだ言論はGHQ配下なのです。
     片肺飛行・・・・いい表現だと思いました。

  6. その筋さん より:

    >GHQによる占領政策で始まった情報統制と戦勝国による西>洋人から見た民主主義の押しつけなのである
    こう書かれてわからない人は
    戦勝国が作った国際連合を育てる為に常任理事国達は
    既得権益クラブを作り運営のする為に日本に自虐史観を植え付けたと言えばわかりやすいでしょう。
    つまり国連主義と言ってる小沢さんは少し国連を理解していないとも言えるわけですし、国連そのものがアメリカとフランスで壊したと言ってよい。これは新秩序体制への息吹が始まっている。9.11テロ、イラン・アフガン侵攻と金融危機はまさにその兆候がより顕著になった事を意味するのです。
    アメリカとEU、中国はまさにその権益レースをやっていて、その争いが別のフィールドに変わったのです。
    日本の政治家とメディアのみなさん、
    貴方達は本当に平和ボケです。私は本当に危機感を持っています。
    メディア方へ
    ぶれない言論姿勢をするなら思想スタンス
    はっきりさせる事です。
    しかし義務を果たすこと
    そしてその基本は正しい愛国心を持って言論活動をしなさい。
    政治家のみなさんへ
    貴達はこの義務を果たしていません。
    日本を良くしたいならま。
    ずこの事を守る約束とすべき義務を果たしなさい。
    国防との基本です。!!
    そして自由には責任があるのです。
    平和とは平穏の日々を作っていく積み重ねであり
    それを守る為に軍人は辛い訓練に耐え、国を守っているのです
    貴方達の為に!! 

  7. 葉隠れ より:

     昨年九月の自民党総裁選当日、自民党本部前で、若者たちによる「麻生コール」が響きました。
     彼等はインターネットでの呼びかけに、参加不参加を自分で考えて集まってきた人達です。
     呼びかけたのは、日本の現状を憂え、日本にとって本当によいことは何か、本質を見つめた末に行動を起こした方々です。ある人は利権やしがらみに無縁のジャーナリストやブロガーさんであり、またある人はまじめな政治家さん達でした。
     若くはないが趣旨に賛同した私は、少し離れた所で、その場の空気に触れていました。
     幼い頃から日常のなかで現代音楽に馴染んできた世代だけあって、「麻生コール」もリズムカルで非常にスマートな印象でした。
     そこには「反権力は正義」といった目をむくような激しさもなく、また権力のアラを探して、執拗に追求するといった昨今のマスコミに見られるような甘えを含んだ傲慢さも感じられませんでした。
     偏にそれは、権力のなかの少しでもましな分子を掬い上げて支援していこうとした呼びかけ人の姿勢にあったのではないでしょうか。
     このようなインターネット時代ならではの動きに期待したい
    と思います。
     

  8. 一般読者 より:

    歴史問題は、「洗脳」された日本の一般国民以外の当事者にとっては、何が正しいかではなく、どのような歴史観であれば自分たちにとって得であるかの問題ですからねえ
    米国政府だって、中国政府だって、韓国政府だって自分たちの主張がウソであることは十分に知っているだろうし、中国国民だって韓国国民だって自分たちの主張に根拠のないことは薄々気が付いているだろう、が、しかし、そのウソであることの方が自分たちの利益、国益に適うから彼らはそのウソを主張して譲るつもりなどさらさらない
    日本の政治家、政党も現在なら「自虐史観」がおかしいなんてちょっと調べれば分かることでしょ?しかし、それでは自分たちの利益にはならないから、真実を認めることはしない(なお、一部の保守政治家の「自虐史観」容認には自衛隊の「暴走」への「足枷」との位置づけがあるようにも思えはするが)
    ジャーナリスト、マスコミだって当然ちょっと調べれば分かるはず。しかし、洗脳された日本国民への「商売」を考えた場合には、「自虐史観」でいく方が受けもよく自分たちの利益にもなるからそれでいく(あと、中国、韓国に対する受けもよくなるから、そのメリットもあるだろう)
    確かに、これまでは、このような状況であっても具体的に問題は発生しなかったから良かったかもしれないけど、米国一極支配の体制が崩れ、また、中国、韓国が軍事的に力をつけてきている現在および将来においては、「自虐史観」は、中国、韓国その他の日本に対する軍事、非軍事的な(復讐、報復的な)「攻撃」を(精神的に)合理化するものであって日本にとって極めて危険な作用をする状況になってきているのではないのか?
    日本の野党、マスコミが「自虐史観」を私利私益のためにこれまでのように弄ぶことは、これからは、火薬庫で火遊びをするような日本に大きな危険を齎すことになるであろう

  9. ねらー より:

    >常に権力の有り様や、やったことをチェックする機能がジャーナリズムの一つの役割です。
    で、後輩ジャーナリスト氏さんに伺いますが、
    政治家は選挙で、(制度の上では少なくとも)官僚は選挙の洗礼を受けた政治家のチェックを受ける訳ですが、あなた方ジャーナリストという方々の暴走を、一般国民はどう監視することができるのでしょうか?
    ご教示をいただきたく、伏してお願い申し上げます。

  10. 平安京 より:

    たとえ反権力のジャーナリストといえども、権力の後ろ盾が無ければ書けない。
    筑紫さんもそのジレンマに苦しまれたのでしょう。
    しかし今は、ネット世論が新たな後ろ盾となりつつある。
    そして、新たな権力を味方に付けた者が、新たな先導者(扇動者)となる。

  11. ちく より:

    んー、筑紫さんを訃報記事で思いっきり叩いてmixiで怒られたものなのですが。
    ところで、田母神論文には、その李ウン殿下の子息が師団長か何かになって広島で原爆死されていることは書かれているのかな?で、そこに立った慰霊碑の折鶴を焼かれたのだ、とかね。
    そう見ると、あの折鶴事件は単純な「右翼による犯行」という側面と「親日行為=日本の師団長であった李公殿下への天誅テロ」という側面とが見えてくるんですけどね・・・

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