「秀吉の刀狩り」神話を覆す・・・庶民はいつから「丸腰」にされたのか



・・・・・・・・・・・・・ 歴史学界では、不思議なことに、秀吉の「刀狩り」に関する研究は非常に少なく、桑田忠親氏の「豊臣秀吉の刀狩り」という論文が1943(昭和18)年に発表されて以来、40年間、本格的な実証研究と言えるものがなかった。
 
 しかしその間に、1588(天正16)年に発令された三ヶ条の「刀狩令」の文面のみを見て、「秀吉の刀狩りは、一揆を防ぐために百姓から武具を取り上げることが本来の目的であり、これを受け継いだ徳川幕府によって、近世の百姓は“武装を剥奪された被支配者”となったのである」というような解釈が一般的となった。

 ところが1983年になって、塚本学『生類をめぐる政治』(平凡社選書)が出版され、江戸時代の村々には鉄砲が多数保有されていた事実が明らかにされた。たとえば18世紀初頭の信州上田藩では、藩(武士)が所有する鉄砲の数が100挺であるのに対して、百姓・町人の所有するものは300挺を越えていたのである・・・・・・・・・・・・・・(本文より)



・・・・・・・・・・・・・ 当時の百姓たちは、けっして「丸腰」ではなかった。しかし、「百姓だけの意趣」のために鎌や鍬を持ち、「世のなかの非道を懲らすために一揆を起こすが、人を殺傷する武器はあえて使わない」という強い意思を示していたのである。

 15世紀後半から続いた長い戦国の世がやっと終息し、徳川の世となった二百余年は、以上のような百姓・領主双方による“武器の抑制”という「自律の作法」によって平和が続いた。
 この史実を是非とも、子どもたちの歴史教科書に掲載してほしいものである。
・・・・・・・・・・・・・・(本文より)

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遠藤顧問の歴史だよ!
十四回目 庶民はいつから「丸腰」にされたのか
by 遠藤顧問


小見出し

塚本学氏・藤木久志氏の業績

「刀狩り」から50年後の百姓と「刀」

「刀狩り」から130年後の町人と「刀」

「刀狩り」から300年後の庶民と「刀」

教育委員会の「登録証」

百姓と領主の間に存在した“鉄砲不使用の原則”

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 今回、遠藤顧問の歴史だよ!が取り上げた書籍は以下です。

生類をめぐる政治―元禄のフォークロア (平凡社ライブラリー)生類をめぐる政治―元禄のフォークロア (平凡社ライブラリー)
著者:塚本 学
販売元:平凡社
発売日:1993-08
おすすめ度:4.0
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豊臣平和令と戦国社会
著者:藤木 久志
販売元:東京大学出版会
発売日:1985-05
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刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))
著者:藤木 久志
販売元:岩波書店
発売日:2005-08
おすすめ度:4.5
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 なお、最近、商業誌から遠藤顧問を紹介してほしい、もしくは、「原稿を依頼したい」という問い合わせが複数ありますが、
「ありがたい申し出ですが、今のところ、他で書く予定はありません。というか、オレは本来、文筆家でないので・・・・」(遠藤顧問談)
 ということで、当面は、遠藤顧問の原稿は、当サイトでしかよめません。

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庶民はいつから「丸腰」にされたのか 2009年3月29日

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なお、遠藤顧問の連載だけ読みたいという方は、以下のカテゴリーにいってください。すべての掲載原稿が読むことができます。

遠藤顧問の歴史だよ!


以上


コメント / トラックバック2件

  1. ぶぶぶ より:

    刀狩りの後も民衆が銃や槍をもっていたのは常識だが、そんなことが「教えられていない」とか「学会で研究が無い」ってのは本当か?
    そっちが出鱈目なんでないかい?
    当たり前のことをいかにも自分の手柄のように吹聴する人間たちがどんな連中かは「あたらしい教科書をつくる会」が教えてくれたので、一応、疑ってみる。

  2. こま より:

    遠藤氏の連載のタイトルだけ見せていただいた。
    神仏分離令の混乱と修験道の抹殺というか、歴史から壊滅してしまった当たりを詳しく知りたいと思うが、それらしきものがない。皇居当たりに行った事はないが「悪党」の像があるというが、それが元になって官幣大社ができ、靖国の流れができたと考えている。刀狩についてはいまいち興味が出ません。

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