10月30日は小沢一郎さんの資金集めパーテイです。小沢一郎の「言必信、行必果」

「言必信、行必果」(げんかならずしん、ぎょうかならずか)とは、「言は必ず信あり、行いは必ず果たす」という孔子のお言葉です。

 有名なところでは、周恩来が、田中角栄さんに、温家宝首相が安倍晋三さんにおくった言葉として知られていますね。
 今度、胡錦涛さんが、鳩山総理におくるかどうか不明です。

 ところがですね、この「言必信、行必果」なんですが、どうも論語の人物評で、三流の人物をあらわすことにつかう・・・というのです。

「つまり、『言ったことは、ちゃんと守れよな』と一流の人物が、三流の人物に諭す場合につかわれる・・・・と、たしか安岡正篤さんあたりがいっていたような。
 つまり、日本国の総理大臣におくる言ではない。これは、大変に失礼なことなのだ。
 それを、無邪気に喜んでいた田中角栄さんは、尋常小学校卒だから、やむをおえないとして、マスコミや周囲の東大卒はちゃんと指摘しなくてはいけなかった」(当方ボス談)


参考:

安岡正篤氏の解説:

『楚辞集註』は楚の文学であり、内容は屈原の離騒が中心である。主人公の屈原は戦国時代の悲劇の人物であり、最後は汨羅(べきら)の淵に身を投げて死んだ。このような内容からすれば、外交の席で一国を代表する主席が相手国の総理大臣に贈るようなものではない。少しく学問があり常識があれば、このような書物を贈るというようなことは、礼儀としてしてはならないことであるが、なぜか毛沢東はそれをやった。毛沢東は資本主義国日本やその申し子のような田中に対して相当複雑な感情を抱いていたのだ。その毛沢東の真意を見抜くこともなく、ただ喜んでもらって帰るとは、田中はなんという識見のないことか。
 「言必信行必果」の言葉だけみれば問題はないように見える。でも、この言葉が出てくる『論語』十三、子路の『子貢に問いて曰く』に続く文を読んでみれば分かる。弟子が孔子に、士たる者はどういう人物でなければなりませんかと問うたところ、孔子はこう答えている。「第一は我が身の振る舞いに恥を知り、四方に使いして、主君の命を損なわない者。第二は一族から孝行者と言われ、郷里の人から悌順(ていじゅん)だとほめられる者。第三は言うことは必ず偽りがなく、行うことは潔いが、こちこちの小人(しょうじん)で、まあ士のうちに入れてもいい者」これからすると、「言必信行必果」は、孔子のいう第三等の人物に当たることが分かる。この言葉は「こうこう然たる小人かな」に続いているのです。『こう』とは路傍の小石のことを指しますから、路傍の小石のような小人よ、ということになる。まったく見下されたものです。自民党きっての知識人といえる大平外相がついていながら・・・・・。
 私なら、即座に突っ返したね。そうすれば周恩来は、この人物はあなどれないと思ってこう言ったはずです。「これはあなたへの言葉ではなく、わたし周恩来への箴言として書いたものです。こんな私ですが末長くお付き合い願いたいものです。」一国の外交に携わる者は、相手に一目おかれないとね・・・・・

 なるほど、鳩山総理は、胡錦涛さんからもらっても突っ返すべきですね。
 で、小沢一郎さんなのですが・・・・・

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「言必信、行必果」の小沢一郎。それで企業、団体がてんやわんや 2009年10月29日

コメント / トラックバック1件

  1. 一般読者 より:

    >この「言必信、行必果」なんですが、どうも論語の人物評で、三流の人物をあらわすことにつかう・・
    孔子は「言必信、行必果」に続いて、最近の政治家は3流以下と答えているので、政治家に限っては「言必信、行必果」は誉め言葉とかw
    また、「言必信、行必果」の意味としては、言ったことをそのままコチコチに守るのは3流の人物だ、1流、2流の人物は主君、孝行のためには(身内のためには)、臨機応変にウソをつくものだ、って解釈もあるとかないとか、、、この解釈の方が、今の中国の政府、民間人を見ていると納得がいくような気も、、、

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